浜松「ガーベラ日本一」率いる脱サラ会社員の嗅覚 ここ20年で一人当たり出荷額は175%に

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また、オリジナル品種の育成に取り組んでいることも特徴だ。昨年度生産した169品種のうち、20品種は浜松PCガーベラが選抜したもの。2005年の2品種からスタートしたオリジナル品種の売上比率は、8%に達している。

浜松PCガーベラ・現部会長の藤野行宏さん(左)と、かなり前に部会長を務めた鈴木誠さん(写真:筆者撮影)

2000年に浜松PCガーベラ販売部会の部会長に就任。2014年にはJAとぴあ浜松生産者協議会の会長も務めた、自称ジョージ・クルーニー、鈴木誠さんはこう語る。

「生産量日本一だからといったって、あの頃はその価値や意味をほとんど感じなかったですね。産地の枕詞に使える便利さだけで。かつては、よい品物さえ作れば儲かる時代だったから。でも、だんだん安いものしか売れない時代に変わっていくなかで、いままでのやり方をぶち壊さなきゃとんでもないことになるって思ったんです」

元証券マンが起こした変革

鈴木さんは元証券マン。父の急死により、17年間勤務した会社を辞めて就農した彼には、おかしな慣習と固定観念ばかりが目についた。

「証券会社で長く働いていた俺から見れば、ここの働き方自体がヘンでした。農業者は基本的にはみんな一匹狼。PCガーベラも社長の集まりです。組織で戦うために作った組織だったはずなのに、みんな自分の経営のことしか考えていなかったんです。毎週のように会議をやってるのに、物事がまったく決まらない。バブルで儲かったときのことを懐かしがって、口々に好き勝手な意見を言うだけの場でした」

快調にぼやき続ける鈴木さん。

「部会長の役が回ってきた後、ある日の会議であんまりにも頭にきて、『意見は文書でも提出すること、提出しなければ意見として認めない』『会議出席者はeメールで連絡を取りあえる人にする』『議事録作成は当番制にして毎回必須』って、強引に決めたんです。周りは栽培技術を教えてもらった先輩ばかりだったんだけどね。そうしたら一気に代替わりが進んで、それまで若手だった俺が長老になっちゃいました」

いまだに電話とファックスで仕事が進む場面が多い農業界において、当時はIT化と世代交代を一気に進められるなど、誰にも想像できない状況であった。販売部会長の立場で啖呵を切ってしまった以上、結果を出してみせるしかない。こうして若手主体となった新生浜松PCガーベラの挑戦が始まった。

今でこそ売り込み上手で知られる浜松PCガーベラだが、それはここ10年の話である。それまでは、「高品質」と「独自性」さえ明確に打ち出せれば儲かるに違いない、との固定観念にどこか縛られていた。

「よい品物を作るまでが仕事だと考えていましたしね。『俺たちは生産のプロ。販促活動は自分たちじゃ無理。だとしたら販売のプロと組むしかない』ってことで、初めて花の販売会社とコラボしてみたんです。その会社に最高のガーベラを1000本無償提供する形でね。そうしたら実際に販促に使われたのは一部で、残りはその花屋さんが商品として売っていたことがわかっちゃって……。契約書もなかったし、結局泣き寝入りで。これで重要なことは人任せにしちゃいけないんだって学びましたね」(鈴木さん)

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