「ポジティブ思考は危ない」禅僧が断言する理由 「生きている意味」なんて見つけなくてもいい

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このとき私は、「助かった!」と思いました。なぜかと言えば、少なくともここに、自分と同じ苦しみを抱える人がいたのだと感じたのです。

人は、自分で望んだわけでもないのに生まれてきて、なんの根拠もない人生を生きていかなければならない。そのやるせなさや悲しさを抱えて生きていくのだと、私に教えてくれたのは釈迦その人でした。

生きることに意味がないとは、救いのない言葉だと思うかもしれません。

しかしそうわかれば、前向きに「意味のある人生」や「有意義な人生」を送らなければと、肩ひじ張ってがんばらなくてもよくなります。「生きる意味を見つけなければ」とやっきになる必要もありません。

「一切皆苦」という言葉

実際、そんなものはなくても生きていけるのです。現に、生きる意味などわからなくても、みんな立派に生きています。でも、どうしても人生の意味を考えてしまう。それらしい人生訓を語られても、腑に落ちない。そんな人もいます。その人が、世の中には今の自分の視点だけではない別の見方があると気づけば、今まで見ていた景色がガラッと変わります。それを提供できるのが仏教です。

「一切皆苦」という言葉が、仏教にあります。

この世のすべては、「苦」である。

釈迦は、そう見抜きました。

実際、世の中には嬉しくて楽しいことよりも、せつなくてつらいことのほうが多いのです。だから、人生が「苦」であることも、生きることが居心地が悪いのも当然でしょう。

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そんなに斜に構えず、もっと楽しく生きればいいじゃないかと思うかもしれません。しかしこの視点で物事を見ると、ある人たちにとっては、強烈な救いになることがあるのです。

それは誰か。「人生とは苦しいものではないのか」「自分とは、もともとダメな存在ではないのか」と薄々感じていた人たち。「夢は努力すれば叶う」といった物語に乗れない人たち、自分のどうしようもなさにうんざりしていた人たちです。

自分の生きづらさを無視できない──そんな人たちは、仏教に触れて、自分の存在はしょせん「たまたま生まれてきた借り物」にすぎないとわかると、「やっぱりそうか!」と納得するのです。

その借り物である自分を引き受け、どうにか元気づけ、大丈夫だと励ましながら、人生を終えるその日までこの世を渡って行く。この世間を生きていくには、そういう方法だってあると私は思います。

南 直哉 禅僧

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みなみ じきさい / Jikisai Minami

1958年、長野県生まれ。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店勤務を経て、1984年に曹洞宗で出家得度。同年から曹洞宗・永平寺で約20年の修行生活をおくる。『恐山 死者のいる場所』『超越と実存 「無常」をめぐる仏教史』(新潮社)、『善の根拠』『仏教入門』(講談社)、『死ぬ練習』(宝島社)など、著書多数。

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