夫から親から…生体腎移植を選んだ「家族の決意」 世界ではナンセンス、なぜ「献腎」は進まない?

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妻はバイオリニスト。手術から半年後に復帰リサイタルを実現させた。力強い演奏で観客の心を打つ妻の姿を誇らしく思った。コロナ禍では、感染リスクのある対面演奏が容易ではなくなり、移住先の八ヶ岳の大自然からYouTubeで演奏を届けた。臓器を受け取った側は、移植された腎臓が機能している限り、免疫抑制薬を飲み続ける必要があるが、試行錯誤を重ねながら音楽家人生を貫く。

「僕らが『自分の病に巻き込んではならない』とか『迷惑をかけてはならない』と双方に思いやることが、かえって治療の障壁になっていたように思う。ある種、合理的に夫婦で幸せになる方法を専門家に相談して探った結果、今の生活がある。今後も夫婦で健康を競い合って人生を共に過ごしたい」(櫻井さん)

腎臓育たない娘に移植を決意

鈴木正さん(仮名)が51歳、娘の優香さん(仮名) が12歳のときに、親子間での生体腎移植を行った。2000年10月のことだ。

優香さんが4歳のときに保育園の健康診断でたんぱく尿を指摘され、総合病院で検査を受けると、腎臓が成長しない先天性低形成腎不全を患っていることがわかった。

「あまりにショックで、妻と何日も泣いて過ごした」という夫婦に、医師は想定外の提案をしたという。「この先、腎移植という治療の選択が私たち家族にもあることを伝えられた。娘を助ける手立てが残されているのだと、心底ホッとした」(鈴木さん)。

娘と妻は血液型が異なるため、一致する鈴木さんがドナーになろうと心が決まった。

小学生になっても、優香さんは小さいまま。成長ホルモンを作る腎臓の機能が低下しているからで、それを補うために成長ホルモン薬を使う必要があった。しかし、乳児の腎機能で10代の体を維持するには限界があった。小学5年で腹膜透析を開始した。

並行して、親子間での生体腎移植の準備を進めていた。だが、鈴木さんには懸念点があった。それは、小児の移植を専門とする医療機関が県内になかったことだ。 また、同じ頃、小児で腎移植を受けた患者の予後がよくなかったことも、鈴木さんの不安を増長させた。

「できれば経験豊かな医師に娘を託したかった。悩んだ結果、東京で手術することとなった」と当時を振り返る。

それから22年。親子ともに腎機能は安定している。

「腎臓が1つになり無理はきかない。前よりも外食・飲酒を控え、毎日妻の手料理を食べている。術前より健康になったのでは」と鈴木さん。優香さんに腎臓を提供できたことは父親としての喜びだと話す。

「私の人生で一番大きな仕事ができたという達成感がある。臓器には記憶が宿るといわれているが、本当に私の性格が娘にうつったのではないかと思えてならない。それほど、術後、娘も強い女性になった」

鈴木さん夫妻
コロナ禍で長距離移動が困難に。都会で働く娘を気遣った父は娘をピックアップし旅行に。写真は移動の道中で(写真:鈴木さん提供)
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