高山登山者は「脳の腫れ」に注意すべき医学的理由 命を脅かす「高地脳浮腫」を発症することも

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精神と脳は2つの異なるものなのか、それとも1つのものなのか、とその高僧にたずねてみた。

高僧は2つの別々のものだと考えていた。精神は脳と同じく体の中にあるが、指で指し示すことはできず、形も体積も色も持たない。

私はさらに突っこんだ質問をした。

「脳はどこで終わり、精神はどこで始まると考えますか」

彼女は答えた。

「それを解き明かすためには瞑想するしかないでしょう」

精神と脳について別の視点から知るために、友人の精神科医に話を聞いた。しかし、質問すると、そもそも精神が存在しているとは信じていない、という答えだった。その説明は以下のものだった。

私たちが経験する世界は意識全体に統合されているように思える。ようするに融合体なのだ。脳の各領域、すなわち脳幹から大脳皮質まで、さまざまなレベルの領域が少しずつ意識を形作っている。精神というのは、下方にある脳の領域の最も基本的な反射作用と、もっと高尚な感情や認識の機能を結びつけ、統合している重層的な存在だと。

精神は脳のさまざまな領域の共同作業を理解する手段

精神の存在を信じないのに、人間の精神の疾患をどうやって診断し治療するのかと質問したが、それは彼にとっては矛盾でもなんでもなかった。精神というのは、脳のさまざまな領域がいかに共同作業をしているのかを理解する手段にすぎない。精神疾患というのは、脳神経科医がほかの脳疾患を診断するのに通常使う、血液検査、CT、MRIなどの手段ではよく理解できない脳機能の状況を簡潔に表現した言葉なのだ。

顕微鏡で脳の生検をしても、精神科医には役に立たないだろう。しかし、脳の精神的な状況はおもに会話によって判断されるので、精神科医にとっては、それが第一の診断基準になる。ときには相手と話すだけで、精神科医は精神疾患の最終的な行動である自殺から患者を救うことができる。自殺とは脳が自死し、肉体を道連れにすることなのだ。

精神は精神科医にとって必要な概念だが、古くさい時代遅れの考えだと、その精神科医は述べた。1世紀以上前から、脳がさまざまな領域に仕事を割り振っていることはわかっている。そのため、意識は1つの流れのように感じられるかもしれないが、実際にはキルトのように継ぎ合わされたものだ。「精神」とは、認識のための臓器、つまり脳が働くとどういう感じがするかを表現するのに使う言葉でしかないと。

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