ヒオカ:もちろん、きちんとした指摘や批判には耳を傾けるべきですが、自分の可能性を否定してくる声や、慣習や常識に従えという声については、そのマイクの音量を下げようとも言っています。
自分の信念に耳を澄ませることが、すごく大事だということを教えられました。
伊藤:ヒオカさんは、弱者の声を可視化する活動をなさっていますが、慣習を打ち破ろうとして苦労された経験はありますか?
ヒオカ:私には、社会からあえて不可視化されている「不都合な弱者」の痛みを拾い上げたいという思いがあります。
「弱者は清貧たれ」の空気に抗う
ヒオカ:これまで、生理の貧困やヤングケアラーの当事者を取材してきましたが、社会には「弱者は清貧たれ」という感覚があります。服は地味でボロボロで、髪も染めておらず、スマホも持たず、明日のご飯にも困っているという人でなければ、貧困として認めないところがあるんですね。
伊藤:「貧困なのに、家にエアコンがあるじゃないか」と、ツイッターなどで匿名批判する人とかいますもんね。
ヒオカ:そうそう。私は貧困家庭出身ですが、取材に出るときは、派手な格好をしているんです。弱者で貧困家庭出身のライターは、つねにコンサバでフォーマルな格好をしなきゃいけないなんてことはないはず。そう考えて、あえて自分の好きな服を着ていくようにしているんですね。
知られるべき問題をどう届けるか
そして、メディアは、センセーショナルなものを好みます。極端で、わかりやすく強い言葉を見出しとして選びたがるところもあります。
たしかに、それでPV(ページビュー)は伸びます。でも、「もしかしたらこの弱者は、自分の隣にいるかもしれない」という身近な感覚や、その問題を当事者として捉えるということが難しくなってしまうんです。