井手:税の話がないので、負担の話も、税の種目の話も、税率の話もいっさい出てこなくて「借金すればいいじゃないか」となっている。だからどんどん話し合いが必要なくなっていっている。
MMT(現代貨幣理論)はそういうことですね。借金にまかせて好きなようにばら撒いていいなら、そもそも民主主義なんていらない。君主のような存在が借金をして、「はい、出しますよ」とやればすむ。今の政治を見ていると、MMTのマイナスの面が現実に起きている印象を持ちます。
野田:インフレだったら、本来MMTは増税を認めなければいけないのに、逆の話になっていますし。与党も野党も似たような議論をやっていて、財政出動が常態化。ポピュリズムに陥っていると思いますね。
「社会の分断」が日本でも強まっている
野田:私が今、一番心配しているのは社会の分断です。アメリカの政治も分断、日本もその傾向が強まっている。それに対抗する理念は「共生」だと思うんですね。共に生きるということは共に分かち合う、負担も分かち合うといこと。それがあって初めて共生のベースができる。
井手:近代社会には市場経済があります。市場経済は競争することで活力を生む。でももう1つ、コミュニティーもありますね。
コミュニティーは家族から始まって、国家もその延長線上にある。コミュニティーは必要充足。皆が支え合って、生きていくための必要を満たし合う。江戸時代の農村を見てもわかるように、警察、消防、道の管理、初等教育、森の管理、介護にいたるまで、コミュニティーがそれを担っていた。
そして同時に、コミュニティーには社会的義務関係がセットです。寺子屋でも警察でも、村落共同体でサービスをもらうだけの人なんていない。そんなことをしていたらつるし上げられてしまいます。皆が汗をかく義務を背負っているんですよね。
一方で汗をかく義務を背負うけれども、他方で生きていくため、暮らしていくための必要をお互いに満たし合う。だからこそ「共に生きる」。取られるばかりだと皆逃げていくし、もらうばかりだと破綻してしまう。これが大原則ですよね。
そして、そのコミュニティーとしてのサービスを国や自治体が担っている現代では、その社会的義務が税金に当たるわけです。連帯には、必要を満たし合うことと同時に、必ず社会的な義務関係が発生する。「義務なき連帯はありえない」というのは、すごく大切な視点だと思いますね。左派とかリベラルの人は、義務を切り落として連帯ばかり語るくせがあるので。
野田先生はご自身が「保守」と呼ばれることをどうお思いですか。
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