防衛費も国債?日本の財政規律が緩んだ根本原因 野田佳彦元首相が語る「財政民主主義」の危機

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井手:税の話がないので、負担の話も、税の種目の話も、税率の話もいっさい出てこなくて「借金すればいいじゃないか」となっている。だからどんどん話し合いが必要なくなっていっている。

MMT(現代貨幣理論)はそういうことですね。借金にまかせて好きなようにばら撒いていいなら、そもそも民主主義なんていらない。君主のような存在が借金をして、「はい、出しますよ」とやればすむ。今の政治を見ていると、MMTのマイナスの面が現実に起きている印象を持ちます。

野田:インフレだったら、本来MMTは増税を認めなければいけないのに、逆の話になっていますし。与党も野党も似たような議論をやっていて、財政出動が常態化。ポピュリズムに陥っていると思いますね。

「社会の分断」が日本でも強まっている

野田:私が今、一番心配しているのは社会の分断です。アメリカの政治も分断、日本もその傾向が強まっている。それに対抗する理念は「共生」だと思うんですね。共に生きるということは共に分かち合う、負担も分かち合うといこと。それがあって初めて共生のベースができる。

井手:近代社会には市場経済があります。市場経済は競争することで活力を生む。でももう1つ、コミュニティーもありますね。

井手英策(いで・えいさく)/専門は財政社会学。1972年生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。日本銀行金融研究所、東北学院大学、横浜国立大学を経て、現職。総務省、全国知事会、全国市長会、日本医師会、連合総研等の各種委員なども歴任(写真:尾形文繁)

コミュニティーは家族から始まって、国家もその延長線上にある。コミュニティーは必要充足。皆が支え合って、生きていくための必要を満たし合う。江戸時代の農村を見てもわかるように、警察、消防、道の管理、初等教育、森の管理、介護にいたるまで、コミュニティーがそれを担っていた。

そして同時に、コミュニティーには社会的義務関係がセットです。寺子屋でも警察でも、村落共同体でサービスをもらうだけの人なんていない。そんなことをしていたらつるし上げられてしまいます。皆が汗をかく義務を背負っているんですよね。

一方で汗をかく義務を背負うけれども、他方で生きていくため、暮らしていくための必要をお互いに満たし合う。だからこそ「共に生きる」。取られるばかりだと皆逃げていくし、もらうばかりだと破綻してしまう。これが大原則ですよね。

そして、そのコミュニティーとしてのサービスを国や自治体が担っている現代では、その社会的義務が税金に当たるわけです。連帯には、必要を満たし合うことと同時に、必ず社会的な義務関係が発生する。「義務なき連帯はありえない」というのは、すごく大切な視点だと思いますね。左派とかリベラルの人は、義務を切り落として連帯ばかり語るくせがあるので。

野田先生はご自身が「保守」と呼ばれることをどうお思いですか。

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