一致点を見いだすための討論だった
井手:まず、安倍晋三元首相の追悼演説でも触れられていた、2012年11月14日の「丁々発止」の党首討論からの衆議院解散。そのときのことからお伺いします。
当時、消費増税を柱とする社会保障・税一体改革関連法が自民・公明との3党合意で成立し、近いうちに解散して国民に信を問わざるをえない状況でした。特例公債法を人質に取られ、一票の格差問題もあった。民主党からは続々と離党者が出て、野田降ろしも起きる。党も内閣も支持率は低く、選挙をすれば当然負けるだろうという雰囲気で、やはり結果は惨敗。
ご自身ではあの敗北をどう評価されていますか。
野田:党首討論で解散を明示し、その結果が大敗で、私は敗軍の将となリました。ですが、一人の政治家としてはそのことに悔いはないんです。
あのときはねじれ国会で、予算は成立しても、財源となる特例公債が発行できずにいた。結局、特例公債法が成立したのは11月16日、解散と取引したような形です。そのような状況だったので、あれは、一致点を見いだすための討論だったんです。単に丁々発止のやり取りをすればいいというものではなく、ケンカ別れするわけにもいかなかった。
井手:論破ではなくて、合意が必要だったんですね。
野田:その前の谷垣総裁との党首討論もそうでしたが、討論するのは合意点を見つけるため。平場ではだめなテーマ、交渉を続けても合意できないものをあえて取り上げ、トップ同士で腹を決めるためにやるんです。
社会保障と税の一体改革は、法律としては通っていた。ただ、国民に説明するには、国会も痛みを伴う改革が必要で、定数削減と議員歳費の削減についてずっと交渉を続けていたが、合意に至らない。あの討論で、解散を明示することによって、その約束を取り付けることができたんです。
安倍さんも、たじろぎながらも約束をしてくれましたので、これはもう解散だと。
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