尾上右近、歌舞伎の型は「落とし穴でもある」訳 創造性の欠如に気づいた演出家の印象的な言葉

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

── 1年の締めくくりでもあり、始まりでもある公演になります。

右近:そうなんです。大晦日もやらせていただくし、これはもう舞台表現の上での総合格闘技だと思うのです。芸術・文化の総合格闘技をぜひ国際フォーラムで! これを言おうと構えてました(笑)。

(写真:内田裕介(Ucci))

長年受け継がれてきた歌舞伎の型は強みでもあり落とし穴でもある

── ところで右近さんは歌舞伎だけに留まらず、他ジャンルでも幅広く活躍されています。なぜ色々なところに出て行こうと思ったのでしょう。

右近:純粋に色々やらせていただきたいなと。例えば海外に出て改めて日本の良さや素晴らしさを理解すると同時に、欠けているものにも気づくような、その感覚に近いでしょうか。やっぱり外の世界に出てみないと、自分たちの歌舞伎という世界がどういうものなのか、どんな演劇なのかは、わからないのじゃないかと思って。僕はなんでも経験しないと納得がいかないタイプなんですよ。

── 例えば他のジャンルで経験したことを歌舞伎に還元できる、持ち帰って生かすようなことはありますか。

右近:そうですね、結果的に歌舞伎に繋がっているところは往々にしてあります。演じる人がお互いのやり取りでキャッチボールを重ねて、積み上げていくのがいわゆる演劇だと思うんですけど、歌舞伎の場合は型があるので、本当に極端なことを言うと、今日はもう帰りたいな~とか思いながらやっていてもできるわけです(笑)。いや、思わないですけどね。

── 歌舞伎には確立された型がある。それが他の演劇とも大きな違いなのですね。

右近:そうですね。それが長年受け継がれてきたからこその強みでもあり、落とし穴でもあると思うのです。僕は、それまで「気持ちでお芝居を作る」ということを経験したことがなかったと、外に出て気づきました。もちろん歌舞伎しかやったことがない人でも感覚的にお芝居をできる人もいるでしょう。でも僕は歌舞伎の型が好きすぎて、型に甘えてきたので、型から離れたら自分なりの表現をどうやったらいいかわからない。つまり、創造性の欠如に気づいたのです。

次ページ忘れられないこと
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事