飲酒運転の被害者遺族「人型パネル」に救われた訳 母娘の軌跡から家族とグリーフケアを考える
隆陸さんは2003年、仕事で滞在中だった鹿児島県奄美市で、飲酒運転の未成年者にひき逃げされ、命を落とした。悪質ドライバーによる悲惨な事故が続いたことで、2001年には危険運転致死傷罪が新たにできていたが、隆陸さんの事故では加害者の酩酊具合は立証できずじまい。同罪は適用されず、過失での起訴になった。
息子を失った佐藤さんは、今も検察官の言葉を忘れていない。彼は「素人のお母さんに説明してもわからないよ。(犯人が)逃げ得というのであれば、署名活動でもして法律を変えなさい。今の法律じゃどうにもならない」と言ったのだという。
佐藤さんはその後、同様の被害にあった遺族らと「飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」を立ち上げた。体調を崩し、心療内科へ入退院を繰り返しながらも、急き立てられるように法改正への署名を求めて全国の街頭に立った。
しかし、追い討ちをかけるかのように、事故から4年後、夫の啓治さんを肝臓がんで亡くす。57歳だった。息子亡き後、夫の酒は増えた。仏間に1人でこもり、酒を飲みながら時折、うめきとも叫びともつかぬような声を発する。佐藤さんは、その声を台所で聞きながら、どうすることもできなかった。
1人の悪質ドライバーが、息子だけでなく夫の命も奪った。その思いは今も消えない。
メッセージ展は「怖い場所」だった
「また笑えるようになりたい」
息子を失ってしばらくしてから、佐藤さんは「生命のメッセージ」展を知り、足を運んだ。1度目は会場の入り口で足がすくみ、入らずに帰った。2度目は、泣きながらやっとのことで人型パネル「メッセンジャー」を見て回ったという。
わが子を殺された母にとって、メッセージ展は「怖い場所」だった。
「自分の中では、息子の死をごまかしごまかし、生きてるわけじゃないですか。人型パネルはみんな亡くなった人。あの中に入ったら息子の死を認めてしまうことになると思って。それが怖かった」
入り口で逡巡しながらもメッセージ展に足を運んだ何回目かの時、身振り手振り交えて踊るように笑う受付の女性を見た。その女性も遺族だと聞いたときの、驚きが気持ちを一変させた。
「この活動に入ったら私もああいうふうになれるんかな。笑いを忘れて、しかめっ面ばかりの私もまた笑えるようになれるんかな」
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