命奪われた被害者遺族が作る「人型パネル」の意味 年内閉館「いのちのミュージアム」が果たした役割

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小谷真樹さん(40)は、京都府亀岡市で2012年に起きた暴走事故の犠牲者遺族だ。集団登校中の小学生の列に、無免許の少年(18)が運転する車が突っ込み、10人が死傷。二女の真緒さんを亡くした。ミュージアムを訪れたのは、その数カ月後である。

「娘は、学校まで数百メートルというところで命を奪われた。ここに来たら、学校にも来ることができるんかな、と。(当時は)7歳、今年は高校卒業の歳なので、ここで娘を育てていただいたと思ってます」

メッセンジャーの「お世話係」と自任する岩嵜悦子さん(72)は、鈴木さんと同様、飲酒運転者に息子を奪われた。初めてメッセージ展を見たときの衝撃を鮮烈に語る。

「『もっと生きたかったんだ』って。もう頭がガンガンするくらい、メッセンジャーの声が聞こえてきたの。会場が割れるくらい聞こえてきたの」

メッセンジャーは生きている

奈良県から来た児島早苗さん(72)は、東京駅での初回展示から参加している。息子を亡くしたのは、鈴木さんの息子が事故に遭って間もない時期だった。

「参加者1人ひとりがアーティストと言われたけど、死者ばっかりの、しかも犠牲者の展示をいったい誰が見に来るんだろうと最初は思ってました。でも、メッセンジャーは彼らにしかできない仕事をしてるんです。生きてるんですよ、本当に」

メッセージ展とのめぐり合いを振り返る、「キャンドルアートの祈り」の参加者たち。鈴木さんも、怒りや憎しみから来る猛々しさが、多くの遺族との出会いを通して変わっていったという。

「メッセージ展はアートだから広がっていけた。たくさんの人が力を貸してくれて、私はただ石を投げただけ。一人で生きて行くんじゃないんだって実感したのは、息子を亡くしてから」

鈴木さんの言葉を聞き、山口県の京井和子さん(57)が「その石を拾ったのが私たち。地方にいて、まだ被害者支援などがなかったころです。ありがたかった」と応じた。2000年7月に娘の山根佳奈ちゃん(当時4)を失っている。発足当時からメッセージ展に参加し、ミュージアムの事務局スタッフであると同時に、大切な人との死別で悲嘆にくれる人を支える「グリーフサポートやまぐち」の代表を務めている。

京井さんは言った。

「今回のような座談会は本当のグリーフワークだと思います。自分たちがどんな体験をしてきたのか、同じような体験された方と集まり、口に出して言えることを無理なく話し合う。そして、当事者じゃなくても、ここにいるボランティアの方のように話を聞いて関わってくれる人もいる。もう一回、人間関係を構築してみようと思うきっかけになるんです」

「いのちのミュージアム」が入る百草台コミュニティセンター。メタセコイアの木の下にキャンドルライトが並べられた(写真:穐吉洋子)
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