日本の「学歴」では世界で勝ち抜けない根本要因 他の先進国と比べて日本は閉ざされた社会だ
しかも授業料・奨学金、賃金・報酬をめぐる価格競争が生じる市場とは異なり、この市場での交換レートは準拠集団内部での相対的なポジションで決まる。主な対価は人びとの満足感・優越意識となる(ただし、経済面では非正規雇用との間には大きな断絶があり、企業規模による格差も存在する)。
給与や賞与といった経済的な報酬の違いさえ、象徴財に変換される程度の差に留まる(1)。しかもこの象徴財は貨幣のような連続量ではなく、与えられた枠(入学者定員、新規採用枠)に入れるか否かで相対的なポジションが決まる「カテゴリー」だ。企業の業績に即応して増えるものではない。
こうした仕組みは日本人には馴染んでいても、海外からの「高度人材」には通用しにくい。そのことが、優れた海外の人材を引きつけることに失敗する一因にもなっている。その結果、市場の閉鎖性・同質性がいっそう強まることとなる。
戦後は「閉じた市場」での競争が功を奏した
すでに述べたように、閉じた市場における競争と交換は、開かれた市場モデルのような質を高める循環とはなりにくい。人的資本の「質」と相関する賃金や能力発揮の機会のような絶対的な価値の増大・獲得競争にも向かわない。
そこに向かうには、リスク覚悟でこのメインルートからスピンアウトするしかない。起業や、芸術・芸能・スポーツといった「プロ」の世界だ。突出した差異が問われる競争の世界である。
かつて戦後の高度成長時代には、このような閉じた市場での競争が功を奏したと言ってよいだろう。1ドル360円という円安もあり、当時の先進国との国際比較で見ればはるかに低賃金(低い労働コスト)で、質の高い工業製品を生産することによって、製品自体のグローバル市場における競争力が優位なポジションを占めることができたからだ。
比較的教育レベルの高い国民(とりわけ若者)を、その人的資本に比して国際比較的に低い賃金で雇用できたことも、その時代の有利さにつながったのだろう。
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