日本の「学歴」では世界で勝ち抜けない根本要因 他の先進国と比べて日本は閉ざされた社会だ
これに大学の外部資金獲得市場での競争力の違いを考慮に入れれば、さらに桁違いの収入差になり、それが市場における交渉力の差につながる。その結果、日本の大学入学市場の閉鎖性や相対的な劣位は変更が難しいものとなる。注意してほしいのは、このような市場の閉鎖性がすでにコロナ禍以前に形成され維持されてきたことである。
この閉じた入学市場では、いわゆる受験「競争」がどれほど激しくても、入試での成功と交換されるのは、質の高い教育とは限らない。国内でのみ通用する大学の威信や地位(ステータス)といったシンボリックな財(象徴財)が主な交換財だ。偏差値の高い大学が、イコール教育の質の高い大学とは言えないことが、その何よりの証拠である。
日本の大学の威信は、国境を越えればほとんどグローバルな交渉力を持たない。日本の偏差値トップ大学のグローバルランキングにそれが表れている。ランキングを決める基準自体が、英語圏の大学に有利にできていることも、市場での交渉力の劣位のひとつの指標である。
受験市場で競われるのは、いかに入学試験で高得点を取れるかに限定される。そこで発揮され測定され順位づけられる能力やスキルの中身も、閉じた市場の中でのみ価値を持つものに留まる。
グローバルな労働市場では通用しない
たとえば、グローバルに通用するインターナショナルバカロレア(IB)で問われる能力やスキルとの違いを考えてみればよい。日本の大学入試で問われる知識や能力は、内容の点でも言語の点でも、グローバル市場では交換される価値をほとんど持たない。一度それをグローバルな指標(たとえばIB)に転換しない限りは。
大学入学市場で獲得できるこの象徴財(大学の知名度や威信)は、たしかに日本での卒業後の就職市場では有利に働くだろう。だから受験競争も生じるのだが、この象徴財はグローバルな労働市場では通用しない。
日本の就職市場自体も海外にはほとんど閉ざされていると言ってよい。外国人の雇用と言っても、日本に留学した留学生から優れた人材を採用するに留まる。海外から高度人材を引きつけることはできていない。つまり、グローバルな労働市場にまでウィングを広げてはいないということだ(あっても海外に留学した日本人や、日本語のできる日本学の卒業生に限られる)。
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