イエレン議長と黒田総裁の決定的な違いとは 日米の「金融政策決定会合」からわかること

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「お疲れ」の黒田日銀総裁。イエレンFRB議長のように尊敬を受けるところまでいかないのはなぜなのか?(ロイター/アフロ)

FOMC(米連邦公開市場委員会)が終了した。声明では、利上げに「忍耐強くなれる」との文言が削除されたが、今週開催された日米二つの金融政策決定会合を見るにつけ、イエレンFRB議長と日銀黒田総裁の違いが、改めて浮き彫りになったといえる。今回のコラムではこの話をしたい。

二人の素養に差はない。ともに素晴らしいセントラルバンカーだ。

違いをもたらしている理由は二つ。第一は、置かれている状況にある。

米国FEDは、まさにゼロ金利解除なら、その瞬間に動く。独特の緊張感がある。戦場感とも言うべきものがある。だから、議長の言葉にも力があり、魂が込められている。聞く側にも緊張感がある。一方、日銀は何もすることがない。賽は投げられたのであり、もはや見守るしかない。だから、言葉には力がなく、受け身であり、様子見であり、魂ここにあらず、なのである。

なぜイエレン議長は尊敬され、黒田総裁はされないのか

しかし、より深刻なもう一つの理由は、中央銀行総裁への、周囲の信頼感と敬意の差である。FRB議長に対する敬意、場合によっては畏れといってもいいほどだが、それは深いものがある。一方、黒田総裁は、敬意を払われていない。バズーカを恐れているが、恐れてはいない。投資損失を恐れているだけであり、投資家たちは、敬意も畏れも抱いていないのだ。

それは、先日の黒田総裁の記者会見に現れた。一部の記者が、乱暴に黒田氏を非難し、これまでの説明における整合性、いわば言葉尻を捉えた言いがかりをつけるような場面まであった。対して、日本のインテリ、あるいは官僚独特の冷笑ともとれる不遜な大笑いは、これの裏返しかもしれない。お互いに敬意を払わず、信頼関係が存在しないのだ。

一方でイエレンは、皮肉な笑いなどしない。これはキャラクターによるものも大きい。バーナンキ前議長は、批判的に言えば、傲慢なところはあったかもしれない。しかし、彼らは決して皮肉を込めて笑わない。常に誠意を持って、「真摯に傲慢」なのである。

では、なぜ記者は乱暴に黒田氏を非難したりするのか。私は、これはメディアや社会の側の、プロフェッショナルに対する敬意のなさが一義的な要因であると思う。だが、それに反応しているプロフェッショナルの側にも問題がある。もし相手に敬意がなく、知識もなく、尊敬するに値しなくとも、真摯に説明する必要がある。「メディアに対して敬意を払う必要がない」と思うのは自由だが、世の中に対して、社会に対し、世界に対して、神に対して、敬意を払わないのは致命的な欠陥だ。

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