若者が熱狂する「ブレイキングダウン」光と影 「オーディション暴行事件」で露呈した未成熟さ
その勢いや注目度は想像以上で、今後、さらに洗練されたフォーマットに仕上げることができれば、日本発のコンテンツフォーマットとして、あるいはイベントのブランドとして発展できるかもしれない。しかし一方でその運営には未成熟な側面も強く感じられた。
国内で若年層に大きな影響を与える存在になってきているだけに、さらなる拡大、海外展開を見据えて足元を大きく見直すべき時期に差し掛かっているようだ。
格闘技を「ワタクシゴト」に近づけた
BreakingDownは、試合そのものだけがコンテンツではない。
選手が出場を目指す背景や本戦出場までの流れ、さらには複数イベントにまたがる因縁や有名になった選手を目指し、新しい挑戦者が現れるといったストーリー全体がBreakingDownと言えるだろう。
テレビ放送ではなく、動画投稿サイトやSNSなどネットを通じて現代的に組み上げたリアリティショーと言える。しかし実際に一連の収録現場、出場希望者や本戦で戦った選手たちの話を聞いていると、昭和から平成にかけての視聴者参加型テレビ番組に近い印象を受けた。
それは現在ほど放送番組企画への引き締めが強くなかった、よく言えば牧歌的だった昔ながらの番組企画に近い“ゆるさ”があるからだろうか。
「ガチンコ!」のガチンコ・ファイトクラブ、さらに時代を遡ると「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の予備校シリーズなどがイメージ的に近いが、現場で感じたのは昭和の時代に竹中直人などのスターも生み出した「TVジョッキー日曜大行進」の奇人変人コーナー、あるいは「風雲!たけし城」に重なる。
特別なアスリート、あるいは才能を持っている人物ではなくとも、ちょっとしたアイデアや努力次第で結果を得られるという空気感。さらに勝敗論を超えて視聴者への共感を呼び起こすストーリーなどに共通性がある。そこに地上波では取り上げにくい“喧嘩自慢の不良たち”が織りなすストーリーが加わり、現代的なコンテンツに生まれかわっている。
喧嘩自慢、格闘技経験者らを集めて更生、あるいは人生を再出発するきっかけを見つけるという舞台設定は手垢がついた設定だが、過去に成功した企画の根幹にある価値観を、SNSや動画共有サービス全盛の現代に最適化したことが画期的だった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら