そこでは、「耳目を集めることができた者」が勝者として君臨できる。チャンネル登録者数、再生数が命であるユーチューバーは、その象徴ともいえ、常に話題の中心であることが求められる。
ゆたぼんがTwitterで「10月だけで俺に関するニュースが100本ぐらいあったらしいw」と投稿したのはまさにこのことで、Yahoo!ニュースなどでPV数が跳ね上がり、コメントで批判的な書き込みをする人々が相次いだのは、後述するようにどこまで意図されたものかはさておき「関心経済」の成功例といえる。なぜなら、明らかに本人のYouTube動画やTwitterアカウントの拡散力を超えて人々に知られるようになっているからである。
ここにおいてネットメディアは、皮肉なことに「関心経済」の申し子であるユーチューバーの奉仕者となっている。炎上しそうな発言の一部を切り抜いたコンテンツ(こたつ記事)を量産し、炎上の拡大再生産に一役買っているが、それはネットメディアもアテンション=関心の争奪戦の只中にいるからだ。
不祥事の報道とは質的に異なり、ここには批判的なコメントやシェアの促進へ積極的に加担している面がある。ネットメディアによって増幅され、社会現象へ格上げされるというマッチポンプ的な構造が見て取れるのだ。
当事者の言動と周囲のリアクションが大きな起爆剤に
2つ目の「感情の消費」は、「どれだけ耳目を集められるか」に直接関わることで、ゆたぼんの炎上騒動の場合、ゆたぼんと父親の言動とそれに対する周囲のリアクションが大きな起爆剤となっている。そもそも不登校自体が賛否を呼ぶテーマだが、特に日本では近年、時代の変化や多様性への配慮などの潮流があり、学校教育はどうあるべきかについての議論が沸騰している。
センシティブな問題も多く、極論は馴染まない。とりわけ「学校に通わなくていい」「不登校は良くない」といったアナウンスは、不登校になった理由も事情もさまざまであり、個人の置かれた状況を抜きには語れないからだ。学校教育は誰もが経験しているがゆえに共通前提になりやすく、共感も得やすい半面、それぞれの複雑な思いと特殊性が絡み合う個人史に差し障る事柄でもあるため、もともと強烈な感情が呼び起こされる可能性が高いイシュー(争点)なのである。
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