マスク氏「Twitter改革」に日本中が動揺するワケ もはや単なるウェブサービスを超えた存在だ

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秋になるたびに「キンモクセイ」がトレンド入りする。開花によって、ふわりと鼻をくすぐる芳香に、思わず季節の変わり目を共有したくなるのだ(筆者も毎年ツイートしてしまう)。それぞれのつぶやきには、感情や衝動が込められているから、単なる報告を超えた「エモさ」を帯びて、より共感の渦を生み出す。

つい先日のサッカー・ワールドカップ(W杯)ドイツ戦でも、観戦しながらのツイートが続出した。試合終了後のトレンドには「日本勝利」「逆転勝ち」といった歓喜の声が並び、翌朝には夢から覚めたかのように「(記念すべき出来事だったから)祝日のはず」とのフレーズが入る。みんな同じことを考えていると気づき、居場所を再確認して安心する。その繰り返しだ。

これほど心のより所になっていれば、「新しい大家さんになって、家賃が上がるかも(=利用料がかかるようになる可能性)」「もしかして立ち退きを迫られたり?(=サービス終了の可能性)」といった感覚を覚えても不思議ではない。

実際、そうした危機感からか、「激務」を選ばなかった従業員が大勢いると報じられた直後、日本では「Twitter終了」がトレンド入り。この時点では「主要なエンジニアを失ったことで、サービスの永続性が心配される」といった意味合いであり、新機能の実装や、今後のメンテナンスは不安視されるものの、イコール終了と受け取るのは早合点だった。

しかし、文字面だけを見て、よくソース(情報源)を調べないまま、即座に反応した人は多かった。リテラシーから考えると、「冷静に判断してほしい」と感じる人も多そうだが、反面、それだけツイッターというサービスが日本人の生活に密着しているということだろう。

もし「Xデー」が来ても避難先はない?

前後して、もし「Xデー」が来たときの避難先についても、議論が深まっている。

リアルのつながりを主軸とするFacebookやmixi、画像メインのInstagram、ゲーマーに愛されるDiscord(ディスコード)、ツイッター同様に短文中心ながら、単一企業による運営ではないMastodon(マストドン)などなど、名前こそ複数挙がるが、どれも(特に日本の)ツイッター文化をそのまま持ち込めるものではない。

「第2の我が家」的な視点から行くと、せっかくご近所さんと仲良くなったのに、またイチから関係性を築かなくてはならない。引っ越しは、部屋探しや荷造りだけでも大変なストレスだ。なるべくなら住み続けたいと思うのは当然だろう。

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