斎藤幸平が「あつ森」で体験した平等・公正社会の幻 ほのぼの無人島生活が全体主義的な快楽に
3週間ほど遊んでいると、コミューンが目指したはずの平等で公正な社会は、もはやどこにもない。資本主義が嫌で無人島に移住してきたはずなのに、いつのまにか、自分がすべてを金の力で決める島の独裁者になっている。ニューハーモニーは、スターリン主義に転化する!
そう、すべては夢だったのだ。
独裁者になることでゆがんだ野望を実現しようとする
現実社会では、昼夜構わず労働し、休みの日にDIYもできない私たちは、せめてゲームのなかでは自由に振る舞いたいと願う。指示される代わりに、頑張って働いた分はしっかりと対価をもらって、そのお金で理想の世界を作りたい、と。
だが、私たちはゲームの中でも貨幣の力に絡め取られ、SNSでは競争にさらされる。その結果、プレーヤーは独裁者になることでゆがんだ野望を実現しようとしてしまうのである。こうして島は全体主義的な性格を強めていくが、その暴力の痕跡は、島がきれいに整備されていくことで、見えなくなる。
あつ森のヒットの理由が現実の資本主義社会の不満を暴力的な形で昇華する全体主義的な快楽だとすれば、コロナ禍での任天堂の明るい業績も素直に喜べない。そして私は、島の住民を強制移住させる前に、そっとゲームを閉じたのだった。
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