斎藤幸平が「あつ森」で体験した平等・公正社会の幻 ほのぼの無人島生活が全体主義的な快楽に

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このゲームが牧歌的なもう1つの理由は、敵やゲームオーバーが存在しないことにある。ゲームクリアの目的もとくにないのだ。だから、気が向いたときに、貝や果物を集めるだけでもいい。

とはいえ、それでは島は一向に発展しない。雑草が生い茂って荒れ果てていくだけだ。現実なら、村では貧困と飢餓が蔓延するだろう。実際、住民の怠惰さが、ニューハーモニー失敗の原因の1つだったという。

それゆえ社会を発展させるためには、労働へのインセンティブが必要になる。徳谷さんいわく、それが「承認欲求」である。「SNSを開けば、大勢の人が自分の島の動画や写真を載せている。自分も認められたいという気持ちが湧いてくる」。

効率的な金儲けがゲームの目的に

だが、島を自慢できるものにしようとすると、ゲームの性格は変わっていく。家を拡張し、橋や区画を整備するには莫大な資金が必要となるため、効率的な貨幣獲得が目的になる。さらに、昼夜問わず労働し、別の島へ出稼ぎに行き、ついには株(野菜のカブ)に手を出し、自分で作れないものは、遠隔地から大量に取り寄せなくてはならない。

私も、最初はどんな魚でも釣れれば喜んでいたけれど、安価な魚とわかると舌打ちをするように。頻繁に壊れる釣りざおを作り直すのも面倒に感じてくる。じれったくて、大型巻き網漁船でマグロを一網打尽にしたい気持ちになる(そんな設定はないが)。効率的な金儲けがゲームの目的になったせいで、集めた貴重な資源を浪費する息子のDIYごっこは邪魔になり、ゲームも家庭も殺伐としていく。

さらに、貨幣の集中とともに、プレーヤーの権力が増大していく。元々はみんなの島だったのに、お金があれば橋や階段の設置場所も私が勝手に決められるし、建設に邪魔な住民の家を強制移住させられる。好みでない外見のキャラクターを追放さえできる。

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