当初は、当時の事務局長と女性のパートさん、私の3人で広報チームを組みましたが、ある意味それはとてもハードでした。
「広報……? それはなんでしょう?」
という理解レベルからスタートしたのです。プレスリリースはおろか、「世の会社には広報という部署がありまして……」という説明から始めたことをいまでも覚えています。
私が「知っていて当然」だと無意識に自覚していたことも、この場所では通じない。メンバーとコミュニケーションをとることすら難しいと感じ、アウェー感に苛まれた移住生活のスタートでした。
地道に少しずつ理解を促し、広報チームはヨチヨチと歩き出しました。一方で幹部たちは「プレスリリースは月10本!」を口癖に、オフィスですれ違うたびに「今月何本出せそう?」と私に尋ねてくるのです。
プレスリリースもなにも、設立直後の財団ではまだ事業の活動実績すらありません。ニュースなんてあるわけがないのです。
「この状態で、どうやって10本出せというの?」
掲げる理想と現実のギャップに正直私も困り果てていました。
芽生えた「無いものはつくる」精神
しかしふと振り返ってみると、会社員時代から私は、ネタがないときはいつも自らネタを作りにいっていました。
「どこかの会社さんとコラボできないかな?」
「この商品でイベントが組めないかな?」
そう考えること自体が楽しかったし、ワクワクを形にすることに夢中でした。それと同じようにやってみればいい。そう思えてからは、心が少しだけ楽になりました。
完成された組織と比べて、設立間もない組織は「無い」ものだらけですが、裏を返せば何でも一からつくれる強みがあります。「世界でいちばんチャレンジしやすい町」をビジョンに掲げて町づくりに挑む財団だからこそ、町中のチャレンジをネタにして、プレスリリース作成に没頭しました。
実際に企画作りから行ったプレスリリースの1例をご紹介します。
・ライチの実りを祝うパーティーを企画して、リリースに。
・焼き鳥を名物にするため地元焼き鳥屋のツアーを企画して、リリースに。
・鉄道会社と共同で駅舎内イベントを企画して、リリースに。
・離れの事務所をコワーキングスペースに仕立て、リリースに。
・商店街で週末マルシェを企画し、リリースに。
・ふるさと納税の返礼品を体験するイベントを東京で企画し、リリースに。
・町内にある航空自衛隊基地のフォトコンテストを企画し、リリースに。
・地元の産品をより盛り上げるため農業塾を企画して、リリースに。
・町からヒット商品を生むアイデアを出すイベントを企画し、リリースに。
・地元農家・起業家とアグリテックイベントを企画し、リリースに。
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