人助けをしない日本人に「グローバル人材」は無理 英語力以前に「見識と教養」が決定的に足りない

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まず、最も重要なのは「差別」に関する見識です。日本でも「差別はいけないこと」と教えられますが、「内と外」を異様に区別する「ムラ社会」の特徴が今でも色濃く残る日本では、「差別はいけないこと」と頭でわかっていても、真に身についていません。

昨年の東京五輪では、女性蔑視発言や障害者差別、人種差別などを理由に、組織委員会会長や、開会式の演出・楽曲の責任者等が相次いで辞任しました。問題発覚当初、組織委員会や一部著名人から彼らを擁護するような発言があったことも含め、「差別」に関する日本社会の意識の低さを改めて世界にさらけ出しました。

以前、筆者は、日本の企業からアメリカの現地法人に赴任した際、現地で非常に徹底した「差別に関する研修」を受けました。赴任前に日本でも同様の研修は受けたのですが、歴史的背景なども含めた研修の内容は、より具体的かつ実践的なもので、それまでの自身の「差別」に関する見識がいかに不十分だったか思い知らされました。

英語ができる、できないの前に、人としての見識が問われるのです。日本社会全体はもとより、「真のグローバル人材」は、この最も重要な「世界の常識」をしっかり身につけることが必須であり、そのための教育のあり方をよく考えていく必要があります。

その大前提として、政治家などによる「差別発言」は、社会全体として、看過することなく、つど厳しく批判していくべきです。

社会貢献の意識が低すぎる

2つ目は冒頭に取り上げた「社会貢献」意識です。「社会」との関わりでいえば、日本人の多くは、小さい頃から「公共の場所では騒いではいけない」「人に迷惑をかけてはいけない」としつけられているので、海外でも日本人の振る舞いに対する評判は悪くありません。

このこと自体はよいのですが、日本人に足りないのは、「社会に対する積極的な貢献」です。それが、世界寄付指数の結果に表れています。2011年の東日本大震災などを機に、日本でも「寄付」や「ボランティア活動」が増えましたが、諸外国と比較すると、日本はまだ低いレベルにあります。

特に、「助けを必要としている人に手を差し伸べる」という意識や行動は、ここ10年、社会全体でむしろ後退しているような気がします。車椅子に乗った人を差し置いてエレベーターに乗るなどといったことは、先進諸国だけでなく、どこの国でも決して許される行為ではありません。

人助けや寄付、ボランティアなどの「社会に対する積極的な貢献」は、少なくとも「グローバル人材に必須の素養」です。このことは、日本校を開講した欧米名門スクールが、「社会貢献」教育をひとつの柱としていることからもわかります。英語教育以上に早い段階から、「積極的な社会貢献」意識を養うことが求められます。

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