作家・黒木亮「部分廃線直前」故郷の留萌線をゆく 英国在住「経済小説」の名手、高校時代に列車通学

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今の留萌線の利用は、秩父別と石狩沼田からの通学がメイン。深川市内の高校へ、さらに乗り継いで旭川、札幌の高校へと通う。そんな事情もあり、石狩沼田―深川間の廃線は3年先延ばしとなった。

黒木さんは1973年から1976年にかけて、秩父別から深川西高校に通っていた。「当時は2、3両連なっていました。アルミの箱を背負った行商の女の人たちが乗っていたのを覚えています。留萌から干物を売りにきていたんですね。魚の匂いはしなかったかな」。

鉄道好きとしては、単線・ディーゼルに1両編成と三拍子そろうとグッとくるが、考えてみれば、低コスト大量輸送が鉄道の持ち味なのだから、もともと1両で走るわけではない。

「懐かしい対象ではなかった」

留萌から1時間で深川に着く。黒木さんに感想を聞いてみた。なごりを惜しむ言葉をどこか期待していたが、淡々とした答えが返ってきた。

「僕にとって、懐かしい対象ではなかった。車両も別物で。向かい合わせの木の座席で友人と話したのが、僕の留萌線の思い出です。時代から取り残されていたから、廃線は既定路線でしょう」

高校時代の後半はバス通学が増えていたという。陸上競技部に入り、高校1年の頃は夜8時台の終電まで石狩川沿いを走った。ケガで練習ができなくなると受験勉強に打ち込み、列車に間に合う時間に起きられなかった。「鉄道は定期で乗れるけれど、バス代はそのつど親にもらわなければなりませんでした。時にくすねたりしてね」。

JR北海道は留萌線などについて、「鉄道より適した手段」としてバスを挙げた。しかし、沿線人口は1970年代から減少の一途。バスも赤字に陥り、公的補助で成り立っている。本数も減っている。

沿線市町は、留萌線の維持費を負担するよりも、JR北海道から代替バスの運営費を得る道をとった。深川市、留萌市の担当者は「鉄道とバスが共倒れになりかねなかった」と語る。

もはや、「鉄路を残せるか」ではなく、「公共交通を残せるか」という局面にある。

翌朝、筆者はひとり深川から留萌線に乗り、峠下まで往復した。7時台の深川行きは既に混みあっていた。石狩沼田と秩父別で10数人ずつ高校生が乗り込んでくると、デッキにはみ出した。カメラを手に、車窓に目をやる筆者たちとは対照的に、彼らはスマートフォンに目を落としている。日常としての鉄道がそこにあった。

 
黒崎 亜弓 東洋経済 記者

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くろさき あゆみ / Ayumi Kurosaki

特に関心のあるテーマは分配と再分配、貨幣、経済史。趣味は鉄道の旅、本屋や図書館にゆくこと。1978年生まれ。共同通信記者(福岡・佐賀・徳島)、『週刊エコノミスト』編集者、フリーランスを経て2023年に現職。静岡のお茶屋の娘なのに最近はコーヒーばかり。

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