小島慶子、私こそ持っていた「おっさん性」の正体 日本社会をしんどくする元凶がそこにある
小島:詳しくは本の中で話しましたが、夫は一緒にいるときは優しい人なのに、根本のところで女性を対等な存在とは思っていなかったことが、ある出来事によって露呈したのです。私の封印が解けた当初は、溜め込んでいた怒りが噴き出して、夫を責め、絶対に許さないと憎む気持ちが強まりました。
でもやがて、なぜ極めて平凡で子煩悩な夫が、そんな非人間的な行為をするに至ったのかを考えるようになりました。この社会で男として育つとはどういうことなのか。その過程で何を“学んで”しまうのか。夫個人から社会の構造に視点を移して、私自身の痛みをより俯瞰的に理解しようと思ったんですね。
やがて、権限が集中する一部の男性たちによって物事が決められる社会では、誰もが人を人とも思わないような考え方を、つまり先ほど説明した「おっさん性」を肥大化させないと生き残れないのだということに気づきました。そこで、深い知見のある方々にこの仮説をぶつけてみようと思ったんです。“おっさん”とは誰なのか、その正体はなんなのか。すると皆さん、ご自身の切実な体験を語ってくださる。すごく沁みましたね。
一部の権力者たちの内輪の理屈に合わせなくちゃいけない社会って、大抵の人にとってはしんどいんですよね。それが、今回の書籍の『おっさん社会が生きづらい』というタイトルになっています。
実はこれ、何案かあった中で、出版社の男性社員たちに最も刺さったタイトルだったから採用されたんです。この社会は男尊女卑で女性がしんどいだけじゃなくて、独善的で非人間的な価値観に合わせなくちゃならない多くの男性にとってもしんどいんだなと改めて思いました。
非力な人が、非力なまま生きていくことができない
――おっさん社会、つまり誰もが「おっさん性」を肥大化させないと生き残れない社会とは、どういうものでしょうか?
小島:上野千鶴子さんと対談した最終章でも書きましたが、一言で言えば、非力な人が非力なまま生きていくことができない社会です。人が大切にされていない社会ですね。
世の中の大多数の人は、社会を動かせるような権力を手にしていません。そういうごく平凡な人々が、生きるために他人を排除したり自分を責めたりしなくてはならないのはつらすぎます。昨年2月の森喜朗氏の発言がわかりやすいですが、ごく一部の権力を持つ人々に合わせて、みんなが「弁えて」生きなくちゃいけない。すごく息苦しいし、心に余裕がなくなってしまいますよね。
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