こうして、滝沢秀明がジャニーズJr.と深くかかわるようになったことを理解するには、ジャニーズの歴史を改めて見ておく必要がある。1962年から始まるジャニーズ事務所の歴史には、大きく3つの転換点があったように思う。
最初は、1980年代の「たのきんトリオ」の活躍。
1970年代後半、停滞期にあったジャニーズ事務所を救ったと言えるのが、田原俊彦、近藤真彦、野村義男の「たのきんトリオ」だった。三者三様の個性を活かしつつ、歌手、俳優、またバラエティ番組などで活躍するスタイルは、現在のジャニーズアイドルの原点にもなった。
2つ目の転換点は「SMAP」
次は、1990年代のSMAPである。
彼らは、ジャニーズとテレビの関係をきわめて密接なものにした。音楽番組やドラマだけでなく、バラエティやキャスターの分野にも進出するなど、ジャニーズの活躍の幅を格段に広げた。とりわけ『SMAP×SMAP』(フジテレビ系、1996年放送開始)に象徴されるように、本格的なバラエティの世界での成功は、後に続くジャニーズに大きな影響を及ぼした。
そして最後は、1990年代後半から2000年代前半にかけての「ジャニーズJr.黄金期」である。ジャニーズJr.の人気が沸騰し、ドームコンサートを開催したり、自分たちの冠番組を持ったりするようになった。その中心にいたリーダー的存在が、「タッキー」と呼ばれた滝沢秀明であった。
まだメジャーデビュー前の存在がこれほどの人気を博したことは、ジャニーズ史上空前と言っても過言ではなかった。しかもそれは特定の個人やグループに限られたわけではなく、「ジャニーズJr.」という集団全体の人気だったことも特筆すべきことだった。
このブームをきっかけに、「ジャニーズJr.」、ひいては「ジャニーズ」という集団や仕組みがどのようなものかが、ファン以外にも広く知られるようになった。このときのジャニーズJr.から嵐や関ジャニ∞といった後のジャニーズを牽引するグループが誕生したことも大きかったが、それだけでなく個々のグループの枠を超えて「ジャニーズ」がある種の文化として私たちに身近なものになった。
ジャニーズJr.の実力を磨き、層を厚くすることでジャニーズ全体の底上げを図ろうという近年の滝沢秀明の方針は、このときの自らの経験を土台にしたものだろう。端的に言えば、もう一度「ジャニーズJr.黄金期」を実現することが、ひとつの理想としてあったに違いない。
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