安倍氏追悼演説「野田元首相」決定までの複雑怪奇 「常識的な落としどころ」の裏に政治的駆け引き
銃撃による非業の死を遂げた安倍晋三元首相に対する国会での追悼演説は、立憲民主党の野田佳彦元首相が行うことが決まった。過去の慣例などから「常識的な落としどころ」とはなったが、決着までの舞台裏は複雑怪奇な政治的駆け引きが際立った。
そもそも、現職首相や首相経験者の死去に伴う追悼演説が、今回のような「政治的騒動」になったのは極めて異例。しかも、死去から3カ月以上もたってから実施される追悼演説は「前代未聞」(衆院事務局)という。
しかも、立憲民主は「国葬」に反対の立場で、泉健太代表ら執行役員が9月27日に行われた国葬を欠席した。党最高顧問の野田氏はあえて「人生観に合わない」と参列したが、同党内の一部から強く批判された経緯もある。このため、「野田氏が参列したのは追悼演説を意識したからだ」(立憲幹部)と解説する向きもある。
追悼演説は10月中の実施で与野党協議が進み、13日には岸田派幹部が「10月25日」の可能性に言及したが、なお流動的とされる。野田氏は首相経験者の中でも演説の巧みさでは定評があり、政界では「結果的に大うけとなる」(閣僚経験者)との見方も少なくない。ただ、その場合は党代表の泉氏らの「見識」も厳しく問われることになる。
岸田首相の「国葬実施即断」で紆余曲折
衆院本会議での故安倍氏の追悼演説を野田氏に委ねることが決まったのは10月7日。高木毅・自民国対委員長が安住淳・立憲民主国対委員長を通じて野田氏に打診、同氏も受諾するという丁寧な手続きを踏んだ。
この国対委員長会談で高木氏は「昭恵夫人を含むご遺族、自民党としての総意でお願いしたい。故人は長く首相を経験し、その重圧と孤独を最も知りうるのは前任の野田氏をおいてほかにない」と丁重に野田氏登壇を要請。これを受け、立憲側も泉代表らが野田氏の意向を確認した結果、野田氏が「荷の重い話ではあるが、受諾させていただく」と応じた。
結果的には「常識の線での円満決着」(自民国対)ともみえるが、自民と立憲の舞台裏の駆け引きは「紆余曲折の連続」(自民長老)。今回の長期間にわたる「追悼演説騒動」の最大の原因は、安倍氏の突然の死去を受けた岸田文雄首相の「国葬実施即断」だったからだ。
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