ほかの候補者は全員腐敗している。ゆえにわれらポピュリストの指導者を支持しない者は真の国民ではなく、彼らが投じる票には正当性がない、という主張である。ポピュリズムとは単なるエリート批判ではなく(エリート批判にはうなずけるものも多い)、その根本には他者を排除する姿勢がある。
国民の唯一にして真の代表であるポピュリストが選挙に負けるということは、誰か(リベラル派のエリート)が何か(選挙の不正操作)を行ったからに違いない──。ポピュリストが支持者に施している洗脳とは、このようなものだ。
本当に悪いのは誰か
有権者の分断が深まっているときには、選挙結果の否定が一段と起こりやすくなる。トランプ氏やボルソナロ氏のような政治的ビジネスマンにとっては、分断こそがチャンスだ。両氏はどちらも政党という鎖につながれてはいない。ボルソナロ氏は所属をころころと変え、大統領になってからは、どの政党にも属さなかった期間が2年ある。今や共和党を牛耳るトランプ氏が共和党に忠誠を示したことは一度もない(同氏はかつて民主党員だった)。
いずれもソーシャルメディアを通じてカルト信者のようなフォロワー集団を構築。政党の組織的支援を必要とせず、党内事情に配慮する必要もない。
政治信条もなければ、政策も持たず、ひたすら個人のキャラで終わりなき文化戦争を駆動する。そんな人物が選挙に負けたと知りながら敗北を否定する暴挙に出るのは、半ば当然の成り行きといえる。それよりもはるかに深刻なのは、周囲の振る舞いだ。
トランプ氏は例の「大ウソ」を、真の共和党員であるかどうかを試すリトマス試験紙に変えた。その結果、共和党候補の多くが、11月の中間選挙で負けた場合に結果を受け入れるか態度を明らかにするのを拒むようになっている。ブラジルでは、なお少数派であるボルソナロ陣営の「主人公」が軍を抱き込むべく工作に動いている。ボルソナロ氏の支持者は警察関係にも多い。
トランプ氏やボルソナロ氏のファンを見ればわかるように、ポピュリストの言う「声なき多数派(サイレント・マジョリティー)」の実体は大概が「声高な少数派(ラウド・マイノリティー)」だ。むろん少数派の声に耳を傾けるのが大切なことは言うまでもない。が、少数派が民主主義に逆らう暴力的な存在と化したときには、真の多数派には「サイレント」であることをやめる義務がある。
(C)Project Syndicate
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