戦争において、国家は必ず国民に嘘を付く ヒトラーの演説でも「平和」を連呼していた
小学生のころ、戦争を起こしてはいけないと教わったときに、「じゃあ、戦争はどうしたら止めらますか?」と思わず質問した記憶がある。当時私は、どうしても喧嘩をやめることができなかったからだ。私は、その後、中学に入って3回目くらいの喧嘩のときに、「これから人を殴りたいときは、自分の拳を飲み込みなさい」と母に強く諭され、以来喧嘩をすることがなくなった。それとともに、いつしかこの疑問自体を忘れてしまっていた。
私は、とりあえず喧嘩を我慢することを覚えた。しかし、戦争がそれだけで済むはずがない。同胞を殺された怒りはいったいどこに向ければよいのか。この本を手にとって、まず目に飛び込んできたのは次の言葉だった。
“戦争を望んだのは彼らのほうだ。われわれは平和を愛する民である。”
昨今の報道によって私が知りうる事象は、まさにこの通りの状況に思える。では、戦争を起こして良いのか。いや、でも……。どうすればいい? 狭間に立ったまま、私は本書を読み始めた。
ヒトラーの演説にも平和が宣言されていた
そもそも、書名にある10の法則とは、古典的名著『戦時の嘘』の著者、アーサー・ポンソンビーが戦争プロパガンダの基本的なメカニズムについて論じた際に提示した10項目の法則のことである。本書は、1法則1章の章立てで構成されている。たとえば、最初の章の法則は「われわれは戦争をしたくない」。戦時国家はまず、自分たちは平和を愛しているということを宣言するという。ヒトラーの演説にも「平和への意志」が度々登場するそうだ。
第2章は「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」。これを双方が主張すると、第三者からみれば明らかに矛盾した形になる。お互いに敵側を悪者に仕立てあげるわけだが、国家や民族全体を悪者として仕立てるのは難しい。敵に顔(具体性)を持たせるのが、第3章「敵の指導者は悪魔のような人間だ」である。たとえば第1次世界大戦前のイギリスでは、ドイツ皇帝のことを完璧なジェントルマンとして紹介されていたにもかかわらず、開戦後は異常者、殺人犯、人殺しと罵ったそうである。
第1章から第3章までの流れを要約してご紹介したが、本書では、次の章とのつながりを意識して各章の最終パラグラフがつづられている。だから、読みやすい。しかも、それぞれの法則を裏付ける根拠となる歴史的事実は、著者の豊富な知識の中から最適なものを選んでいると感じさせる。そのひとつが、第1次世界大戦前に流布した「手を切断されたベルギー人の子供たち」の話である。
この話は、ベルギー難民の窮状とドイツ軍の残虐さを訴えるプロパガンダとして、成功をおさめ、政治的に大きな影響力をもった。だが戦後、根拠のないものであることがわかり、つくり話であると断定されている。また最近では、クウェート侵攻を制裁するに当たり、米国が広告会社を使い「保育器を盗もうとしたイラク兵が、なかにいた未熟児を放り出した」というつくり話を作って、世論を誘導したことがわかっているそうだ。
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