世界の格差が「西側の政策」で縮小しない根本原因 「普遍的な構造改革をすれば解消できる」は誤解
第二次世界大戦後、太平洋上のタンナという小さな島に軍用飛行場に似た施設がいくつか造られた。飛行機があり、滑走路があり、監視塔があり、司令部や食堂もあった。だが、それらはどれ1つとして本物ではなかった。
飛行機は、中をくりぬいた木の幹で作られていたし、滑走路は離着陸に使うには長さが足りず、葦で造られた監視塔には木彫りの監視装置が置かれ、光を放っているのは松明だけだった。これらのまがいものの飛行場には一機の飛行機も着陸したことがなかったが、島民のなかには、ここで航空管制官のふりをする者もいれば、銃の代わりに木の枝を担いで行進のまねごとをする者もいた。
戦争は、タンナ島をはじめ、太平洋に浮かぶメラネシアの島々の先住民に深い印象を残した。人々は戦争の間、日本やアメリカの工業力を目の当たりにした。島の上空では日本軍やアメリカ軍の飛行機が高速で飛び交い、まわりの海では軍艦同士が大砲を撃ちあい、島には兵隊によって基地が造られた。
なかでも長年忘れがたい強烈な印象を与えたのは、異邦人たちがもたらした豊富な積み荷だった。缶詰の食品の箱があり、医療品の箱や、衣類の箱や、島民がそれまでほとんど見たことのないさまざまな品を詰めた箱があった。
終戦後に島民たちが再現
戦争が終わり、兵隊が帰郷すると、これらの恵みの源泉が枯渇した。そこで、近代的な製造工程など知る由もない島民たちはこの富の起源を突きとめようとして、富に付随していたものや習慣の一部を再現した。
それは、兵隊たちがもち込んだもの、つまり島民が物質的な富や精神的な富、平等や政治的自律と受けとめたものが島に戻り、再び島に恩恵を与えるのを願ってのことだった(祖先や神が豊富な文明の利器を船や飛行機でもたらすという、メラネシアに広がるいわゆる「カーゴ・カルト(積み荷信仰)」の一変種)。
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