ラグジュアリーの対象となる分野を具体的にいえば、アパレル、アクセサリー、自動車、アート、グルメ、ホスピタリティ、プライベートジェットなどです。近々、宇宙体験などもこの中に入ってくるでしょう。
こうしたラグジュアリーの市場はニッチだといわれながらも、パンデミック以前、世界的コンサルティング会社であるベイン&カンパニーが発表した2019年のデータによれば、世界の市場規模は実に140兆円以上にのぼります。2020年はコロナ禍によって激減しましたが、2021年のアパレルやアクセサリーなどの最終消費財は、2019年並みに戻りました。
ラグジュアリーという言葉を聞くと、「古臭い」「排他的」「偽りの品性」といったマイナスイメージを持つ人も多いでしょう。19世紀、産業革命が育んだ新興ブルジョワジーの需要によって生まれたフランスやイギリスのラグジュアリーブランドを想像し、それらが20世紀後半以降、市場で肥大化したことへの嫌悪感があるのだと思われます。
肥大化の象徴ともいえるのは、ディオールやフェンディなどを傘下に持つ「LVMH」、グッチやサンローランなどを持つ「ケリング」、そしてカルティエやヴァンクリーフ&アーペルなどを持つ「リシュモン」のいわゆる三大コングロマリットですが、これらがラグジュアリーのすべてではありません。
ラグジュアリーの歴史や対象分野を語るうえでは、これらのコングロマリットの活動は重要で、影響力も大きいのは確かですが、実はこれら三大コングロマリットの年商を合計しても、ラグジュアリー市場全体からみるとおよそ14分の1にすぎないのです。
「イケてないもの」がない時代
日本をはじめ、経済的に発展した国においては、「イケてないもの」が減ってきました。今やイケアや無印良品のような企業の商品が家庭やオフィスにかなり普及しています。値段はそれほど高くなく、デザインもそれなりのレベル。人々は高いお金を払って「野暮ったいもの」、もっと卑近な表現を使えば「ダサいもの」に手を出す危険性がなくなったのです。
一方、美しく高価で、これまでなかなか手が出しにくかったラグジュアリーブランドの商品も、割安感があり気軽に手にできるセカンドライン(若者向けや普及用につくられたサブブランド)が増え、様子が変わってきました。
値段・デザイン・品質のどれをとっても、あまり文句のつけどころがない。わかりやすい不満の見当たらないこの状況に文句を言うと、バチがあたりそうです。
しかしながら、心から欲しいと思える、突出した願いが表現されたような、インパクトのあるモノやコトに触れたい。たとえほかのものにお金を使うのを我慢しても、「絶対、これが欲しい。これなら深く愛して長く持ちたい」と思えるモノに出合いたい。みなさんも、そういう想いを抱くことはないでしょうか?
そのような願いを実現するために動いているのが、「ラグジュアリースタートアップ」と呼ばれる企業たちです。
これらのスタートアップ企業が活躍し始めているラグジュアリーの分野では「人文系の素養」が大きくものを言います。テクノロジー主導型ではまず進みません。もちろん、たとえばデジタル分野を含めた顧客体験も、サステナブルな素材の再利用なども、実現のためにはテクノロジーが必要で、実際は人文とテクノロジーの両輪が動かなくては成り立ちません。
しかし「このテクノロジーで何かできないか?」はラグジュアリーの動機にはなりません。あくまで「人文学的な動機」が最初にくるのです。