ここしばらく、日本では歴史・哲学・美術・文学など人文系の分野は、「ビジネスで何の役に立つのか?」と問われてきた分野です。数年前には大学の人文系学部の見直しが話題になり、「時代遅れの学問分野」として嘲笑さえ受けました。
ですが、歴史を振り返ってみると、これら人文系の分野が起点となったラグジュアリーが、新しい文化をつくる先導役を果たしてきたのです。
さまざまな文化において、新しい時代の息吹に敏感に反応し、これまでの歴史や地域といった文脈を活かせる新しいモデルをつくり、表現する。こうした最先端のビジネス分野が「新しいラグジュアリー」です。この分野では真っ先に新しい世界観が求められ、それを「ラグジュアリースタートアップ」が表現しているのです。
言い換えれば、「新しいラグジュアリー」は、日々の生活と社会を変えていくソーシャルイノベーションのひとつです。たとえば、米国のテスラは当初、電気自動車の中でも「高級スポーツカー」としてのデビューから始まりました。その結果、「電気自動車はガソリン車に比べて鈍いもの」だという先入観を見事に覆しました。
変化が起きている理由
もうひとつ、「新しいラグジュアリー」を考える上で押さえておきたいのは、「文化盗用」という言葉です。1980年代あたりからコンテンポラリーアート(現代美術)を中心に広まってきた表現ですが、特に2010年代以降、ソーシャルメディアの普及とともに盛んに話題になっています。
政治・経済・文化で優位にある国の企業が、劣勢にある地域の文化要素(デザインやモチーフ、特徴的な文様や色など)をビジネスの利益のために使っていると、「文化盗用」だと非難されます。記事冒頭のヴァレンティノの例でいえば、着物などの日本文化をビジネスの利益のために(しかも十分に尊重されていると感じられない形で)使ったことによって炎上を招いたのです。
世界史の教科書では、50年以上も前にヨーロッパの宗主国から植民地が独立した時点で、あたかも植民地時代は終了したかのような説明がありました。
しかし、実際は旧宗主国と旧植民地の間には「上下関係」が暗然と続いてきました。そして旧植民地の人権についても、旧宗主国の人から「下のもの」と見られる傾向にありました。このことに、経済的にも豊かになってきた「解放された人々」が気づき始めた、またはソーシャルメディアの普及で発言できるようになってきたのです。
今、ヨーロッパはあらためて「植民地主義の清算」を迫られ、その文脈で人権の尊重がさらにフォーカスされています。従来のラグジュアリーブランド企業もこのテーマに対するため、デザイン審査やクリエイターの異文化教育の必要性を徐々に認識し始めています。
冒頭でもお話ししたように、新しい時代の息吹に敏感に反応するのがラグジュアリーという領域です。そしてこれから先、少なくとも2030年までを見通す上では、この「新しいラグジュアリー」の行方が、ほかの分野にとっても指針になるはずです。
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