赤字だった市立川西病院が劇的な変身を遂げた訳 存続すら危ぶまれたが総合医療センターとして再生
経営が厳しい公立病院の改革が全国的に進められている。しかし長引くコロナ禍の対応に追われ、病院の現場は改革どころではない。皮肉なことに経営悪化状況の病院も、コロナ対応による国からの補助金で一時的に財源が潤ったことから、改革のスピードが鈍り気味の傾向になっている。
そんな中、今年9月1日、兵庫県川西市の市立川西病院が市内の新たな土地で川西市立総合医療センターとして再スタートした。市立川西病院は2014年には経営健全化団体となり、再建は難しいと考えられていた。にもかかわらず、コロナ対応に追われる中で、新たな地域医療連携の中核となる市立総合医療センターとして再生できた理由は何だったのか。経緯を追ってみた。
立地や少子高齢化などで経営悪化、経営健全化団体に
兵庫県川西市は、大阪府に隣接した人口約15万人の南北に長い都市である。北部地域には能勢電鉄に沿って延びた日生ニュータウンが経済成長期の1975年にオープン。市立川西病院は増加するニュータウンの住民に対応する病院として1983年にこの地域に移転開設された。
しかし近年の全国的な少子高齢化に伴う人口減少は川西も例外ではなく、患者数も減少していく。市街地近くの南部地域住民の中には、隣接する大阪府池田市や大病院のある吹田市の医療機関を受診する人も少なくはなく、市立川西病院の経営は徐々に悪化し、2002年には赤字経営に転落してしまう。以降赤字経営が続いてきた。
病院の建物も築35年を超える老朽化に加え、立地の悪さから医師の確保などが難しく「病院の今後のあり方検討会」などで、病院の移転や建て替えなどを検討してきたが、経営状況の改善は進まず難航していた。2014年には、ついに経営健全化団体になってしまう。こうなると、新築移転も大規模改修もできなくなり、再建への道はますます厳しくなった。
川西市はこの間、市民病院の必然性を重んじ、毎年10億円の補助金投入や26億円の長期貸し付けなどによって支援を続けてきたが、それも厳しい市の財政状況の中で限界にきていた。
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