ソ連東欧圏を崩壊させたゴルバチョフ氏の君主論 最後の書記長が残したウクライナ問題という火種
しかもソ連崩壊後、西側資本がなだれをうってソ連・東欧地域に流れ国有財産を私有化して巨万の利得を稼ぎ、ソ連・東欧の人々の中に、にわか億万長者をつくっていった。いわゆるオリガーキー(オリガルヒ、新興財閥)という集団の形成である。こうした事態を引き起こしたのも、ソ連のゴルバチョフのペレストロイカが持っていた理想主義の結果であったといえなくもない。
確かにペレストロイカをソ連の立ち位置を考えずにひたすら進めれば、資本主義市場に組み込まれるしかない。それまでソ連・東欧にはコメコン(経済相互援助会議)があり、西側に対して閉鎖市場を形成していた。それが結局すべて西側の市場に組み込まれていったのだ。しかも、国営企業や社会保障制度も、西側の自由主義市場に組み込まれ、崩壊した。少なくとも、東欧がそれ以前に崩壊したことを学んでいれば、そうならなかったのかもしれないのだが。
ウクライナ問題という遺産
プーチンは、そのつらい状況を身をもって体験したのだ。敵に対し引くところは引くが、守るところは守る。政治家としては、冷徹で現実的な資質が必要である。ゴルバチョフにはこうした部分が欠けていたのかもしれない。西側から見れば、ソ連を崩壊させた人物、冷戦を終焉させた人物だが、ロシアにとってみればソ連を崩壊させ、多くの人々を貧困のどん底に陥れた人物でもあるのだ。
ゴルバチョフは、自らが引き起こしたウクライナ問題の結末を見ることなく、亡くなった。彼にとってはよかったのかもしれないが、その遺産をこれから背負うのは次の世代である。しかし、その解決は困難を極めるだろう。
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