しかし、流されるように追い立てられるように塾に行かせ、中学受験に向かうデメリットもないのだろうか? 子どもにはそれぞれに特性があり、学校にも塾にも相性があるだろうに、本当に低学年から塾に入れる必要はあるのか?
中学受験の弊害はないのか
「入試そのものよりも、塾の試験でクラス分けがあるのが嫌で、終わってほっとした」
「中学受験がというより塾が嫌いだった」
中学受験を終えた複数の中1の母親たちから聞いた、子どもたちの言葉だ。
ある女の子は大手塾で間違った回答を講師に「●●さんはこんな解答をしています」とさらされ、笑われたことがトラウマになり塾に行けなくなったという。結局その塾は辞めて、個別指導などを経て受験を無事終えた。
私が見学した塾でも、見学者の大人がいるにもかかわらず、まだおそらく志望校もかたまっていないであろう小4の子どもたちに対して、「難関校がさ、こんな単純にとける問題出すと思う?」「早くしろよ!」「宿題ひっでーなぁ、これ」といった叱責があまりに多くて驚いた。子どもたちが授業の1時間の間、一度も笑顔を見せず、ただ萎縮しているように見えた塾もあった。
中学受験はゴールではなく、その後も人生は続く。中学受験をくぐり抜けた親たちからも、
「自主性を重んじるタイプの学校だとさぼってしまうとか、難関校にぎりぎりで入ってしまって、ガタガタと成績が落ちていくとか、心配は尽きない」(高2、中2の母親)
「志望校に入っても中2から中3にかけて、生きる意味を感じないという感じになってしまった。その後に自分でやりたいことをみつけたようで塞翁が馬でしたが、何がいいかなんて事前にはわからない」(現在大学1年生の男の子の母親)
といった話も聞く。
にもかかわらず、中学受験で、成績がいいことが偉いという価値観がたたき込まれ、偏差値の高い学校ほど目指すべき目標のように語られる。勉強ができないやつはクズだカスだという価値観を刷り込まれたら。
「そこで挫折してしまった子への影響が心配」「必ずしも努力が成果につながらないので、自信喪失につながる」という声があるのはもちろんだが、私はそこで成功してしまった子のことも十分心配だ。
偏差値競争を勝ち抜き、高学歴を手にしたことは、成功体験でもあるだけに、子どもたちの人格形成に少なからず影響を与えるかもしれない。
次回、偏差値至上主義ともいえるような中学受験からはじまるカルチャーの弊害について詳しく見ていきたい。
(取材には一部、「東大ママ門」の協力を得ました)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら