1999年に逝った男が綴ったサイトが今も残る意味 20年以上無管理「池田貴族心霊研究所」の役割

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貴族さんは生前からがんであることを公表しており、複数の闘病記を刊行し、生まれたばかりのわが子に向けたアルバムCDもリリースしている。それらの作品の情報も、死没の事実とともにまとめられている。つまり、このサイトは貴族さんが亡くなった後も誰かが管理しており、新たなコンテンツを作っていた時期があるのだ。現実のお墓の写真とアクセス方法をまとめたページまで作られている。

所長室の写真立てから飛べるプロフィールページ

サイトの動きが止まっておそらくは20年余り。このサイトはどんな意図で引き継がれ、手放されて現在に至るのか。その背景を知るには、貴族さんが生きた時代まで時計の針を戻す必要がある。

長女が生まれた22カ月後に逝去

プロフィールにあるとおり、貴族さんはTBSの人気番組「三宅裕司のいかすバンド天国」(通称・イカ天)での活躍をきっかけに、ロックバンド「remote(リモート)」のボーカルとして1990年にメジャーデビューを果たしている。バンドは2年後に解散したが、その後もアーティスト兼マルチタレントとしてメディアで活躍を続けた。「池田貴族」で検索すれば往時の実績が簡単にたどれる。

池田貴名義で執筆した『ガンを生きる』と『ガンを生きる2』(ともに幻冬舎文庫)

身体に異常を感じるようになったのは30代となった頃からだ。本名の池田貴(たかし)名義で著した最初の闘病記『ガンを生きる ミュージシャンの孤独な闘い』(旧題・HCCの疑いあり 肝細胞ガンとの闘い)にはこう書かれている。

<一九九五年の九月、レコーディングの打ち上げで、二日連続で朝まで酒を飲んだ。とはいえ、その頃は飲める量が減っており、それほど飲んでいない。特に、二日目など、ほとんど飲んでいない。にもかかわらず、めまいがしてダウンした。>
(『ガンを生きる』/66ページ~)

デビュー時は1週間続けて朝まで飲むこともあったが、急に無理が利かなくなった。体重は長らく58.5kgで安定していたが、突然55kgまで落ちた。胃のむかつきから食欲不振も続いている。身体の内部に不審な変化が相次いだ。

それが肝臓にできたがんによるものだと判明したのは1996年10月のことだ。異常を察知した母の勧めで病院に行ったところ、カルテに「HCCの疑いあり」と書かれた。HCCは肝細胞がんのことを指す。精密検査を経て疑いは事実に変わり、翌月に肝臓の5分の1を切除する手術を受けることになった。肝硬変の一歩手前の肝臓からは新たながんの転移も複数見つかり、最終的には4分の1を切り取ったという。後にステージIIIと告げられる。

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