昭和の鉄道少年が熱狂した「ブルトレ」取材秘話 国鉄時代の「さくら」「あさかぜ」車内同乗撮影記

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1956(昭和31)年11月19日、東海道本線全線電化完成と同時に東京―博多間を走り出したのが特急「あさかぜ」だ。2年後の1958(昭和33)年10月1日からは客車が最新の20系に置き換えられた。

ブルートレイン「あさかぜ」
EF65形P+20系客車という古き良き時代の「あさかぜ」。東海道本線袋井―掛川間(撮影:南正時)

ブルーの車体が美しい20系は空気バネ台車の採用による乗り心地の良さやエアコン完備の快適さ、そして個室寝台や食堂車など、当時最高の設備を誇った寝台特急だった。特に個室をはじめとするプルマン式A寝台はその豪華さから〝走るホテル〞とまで呼ばれるようになった。

「あさかぜ」20系客車
18:09 東京駅13番線に入線し、発車を待つ20系「あさかぜ」。東京寄りの最後尾は大窓のあるナハネフ22形で展望スペースになっていた(撮影:南正時)
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私のケイブンシャ鉄道大百科の最初の「ブルトレ同乗記」は1975(昭和50)年の「あさかぜ」であり、鉄道少年たちの視点で取材を行った。興味深かったのは車掌の人数が多いことだった。当時のB寝台は車掌(列車ボーイと呼ばれていた)が就寝前の寝台のセットと朝の解体作業をすべて行っていた。さらに乗客のさまざまな要望を聞き、まだ車内電話もなかった時代、列車内からの電報の手配やA寝台へのルームサービスも一手に引き受けていた。

「ブルートレイン」の元祖、20系

実際に20系に乗ってみると、三段のB寝台は当時の私の体形からもやや窮屈な感じはぬぐえなかった。それでも夏はエアコンが効いて快適な旅が楽しめたし、食堂車は街のレストランを思わせる雰囲気で、豊富な洋食メニューも味わうことができた。

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20系の美しいブルーの塗装から、後年になって寝台特急は誰云うことなく「ブルートレイン」と呼ばれるようになり、カメラを持った鉄道少年たちが東京駅にやってきて「あさかぜ」をはじめとするブルートレインにカメラを向けるようになった。

豪華寝台列車として登場した20系客車だったが、日本人の体格向上などもあり、幅52センチで寝返りも打てず窮屈な寝台は次第に時代遅れとなっていった。「あさかぜ」の20系客車定期運用は1978(昭和53)年2月をもって廃止となり、新型24系客車に置き換えられた。

東京―博多間の20系「あさかぜ」の旅は、筆者のような庶民はB寝台を利用することが多かった。A寝台に乗れるのは、いわゆる「お金持ち」のリッチな人たち。当時はまだまだ貧富の差があり、特急列車に乗るだけでも「清水の舞台から飛び降りる」覚悟できっぷを買ったものだった。

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南 正時 鉄道写真家

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みなみ・まさとき / Masatoki Minami

1946年福井県生まれ。アニメーターの大塚康生氏の影響を受けて、蒸気機関車の撮影に魅了され、鉄道を撮り続ける。71年に独立。新聞や鉄道・旅行雑誌にて撮影・執筆を行う。

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