いつの時代も"デラックス"、「東武特急」名車列伝 懐かしの「DRC」から追い続けた憧れの列車たち
いきなり私事で恐縮だが、私が初めて私鉄の有料特急に乗ったのは1964年、名古屋から家族旅行で鬼怒川温泉に行ったときのことだ。新幹線開業前だったので、東京までは151系「こだま」で行き、鬼怒川温泉までは東武特急デラックスロマンスカー(以下DRC)で行ったようだ。
行ったようだ……というのは、「こだま」の車中や鬼怒川温泉の旅館「あさや」でのスナップは残っているのだが、DRCの写真は残っていないのだ。今となっては悔やまれるが、それ以来DRCには特別な思いを持つことになった。
名車「DRC」の誕生まで
かつて東武鉄道のフラッグシップであったDRC(Deluxe Romance Carの頭文字)は1960年に誕生した豪華私鉄特急であった。
東武はそれ以前、昭和初期から日光・鬼怒川方面への観光列車を走らせてきた。1929年の日光線全線開業時に週末限定で観光特急の運行を開始し、戦後になると「華厳」「鬼怒」と命名された本格的な特急が運転されるようになった。GHQ(連合国軍総司令部)専用のクロスシート、シャンデリア付きの特別仕様車を使用してのもので、東武特急の原点と言えよう。
1951年には、引退後もファンに根強い人気を誇る5700系電車が登場、ロマンスシートを装備し日光への特急「けごん」、鬼怒川温泉への特急「きぬ」として運行した。これが現在のスペーシアにまで至る、本格的な専用車両による日光・鬼怒川行き観光特急の始まりである。5700系は当初、正面貫通型と当時流行の正面2枚窓タイプがあったが、後者は前面にヒゲのような飾りがあったところから「猫ヒゲ」電車と親しまれた。
しかし、東武は5700系デビューからわずか5年後に新型特急車1700系を投入。1958年には浅草―東武日光間で2時間を切る115分運転を実現した。当時、東武は日光への旅客争奪戦で国鉄と熾烈な競争を展開しており、国鉄は157系準急「日光」を投入。東武ではその対抗策として外国人利用者を意識した新型特急電車を開発した。それが1720系DRCだった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら