関西鉄道ファンのヒーロー、「近鉄特急」名車列伝 写真で振り返る思い出の列車、約半世紀の記録

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近鉄特急、そして「ビスタカー」の名を一躍有名にした10100系「ビスタⅡ世」(撮影:南正時)
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大阪・京都・奈良・三重・愛知の2府3県に、全長501.1kmの民鉄最大の路線網を広げる近鉄は、観光向けからビジネス向けまでさまざまな特急電車を走らせてきた。長らくフラッグシップトレインは「名阪ノンストップ特急」であり「ビスタカー」であったが、近鉄特急にはさまざまな名車がある。筆者思い出の列車を中心にその数々を取り上げてみたい。

近鉄特急のルーツは、1932年に登場した伊勢神宮参拝の「特急電車」で、大阪の上本町駅―宇治山田駅間を2時間1分で結んだのが始まりとされるが、当時はまだ「近鉄」ではなかった。近畿日本鉄道は1944年6月、関西急行鉄道と南海鉄道の合併により発足した。特急は終戦直後の1947年に名阪間で運転を開始し、戦後初の有料特急として名をはせた。

「ビスタカー」の登場

一躍「近鉄特急」の存在を知らしめたのは、1958年7月に営業運転を開始した、2階建て車を連結した10000系電車「ビスタカー」だろう。1編成のみの試作的存在だったが、世界初の2階建て高速電車だった。ここに、その後近鉄特急の看板となるビスタカーの歴史が始まった。

当時、近鉄は伊勢中川駅を境に大阪側が1435mmの標準軌、名古屋側が1067mmの狭軌で、名阪特急は途中での乗り換えを強いられていた。1959年9月の「伊勢湾台風」で名古屋線の愛知県内路線は甚大な被害を受けたが、この際に標準軌として復旧を進め、同年11月末に改軌が完成。12月に名古屋―大阪(上本町・難波)間で悲願の名阪直通特急運転を開始した。その際に登場したのが、今や伝説的な存在として語り継がれている2代目ビスタカー、通称「ビスタⅡ世」10100系電車だ。

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