現在より優雅、往年の「欧州国際急行」のド迫力

食堂車や運転室内…かつての名列車を写真で

古城をかすめて疾走する西ドイツ国鉄(当時)の国際列車TEE「ラインゴルト」(筆者撮影)

筆者が「国際列車」に憧れて初めて渡欧したのは今から45年前、1975年の初夏だった。当時、日本の国鉄から蒸気機関車(SL)の姿が消え、プロの鉄道写真家として次なる被写体を模索していたときに「TEE」の存在を知ったのである。

TEEとは「Trans Europ Express」(トランス・ヨーロッパ・エクスプレス)、つまりヨーロッパ国際急行列車である。第2次大戦後、飛行機の台頭によってヨーロッパで長距離国際列車の衰退が始まる中、1953年にオランダの国鉄総裁デン・ホランダー博士が規格統一した国際列車の運行を西ヨーロッパ諸国に提唱して誕生し、1957年に運行を開始した。

憧れの「TEE」

TEEを名乗る基準は、当日に目的地に到達できる昼行列車であること、すべて1等客車により、温かい食事が供される食堂車またはビュッフェを連結していること、最高速度は時速140km以上などだった。つまり、高速で豪華な列車を運行することで航空機に流れつつあった高級ビジネス客を取り戻そうというものであった。

パリ・オーステルリッツ駅に停車するTEE「キャピトール」(筆者撮影)

1970年代はTEEが全盛を極めた時代であった。西ドイツ(当時)が誇った「ラインゴルト」や、車内にブティックや美容室まであったフランスの「ミストラル」、運転台を2階にした構造が名鉄パノラマカーなどに影響を与えた「セッテベロ」など、各国が誇る名列車が欧州を駆け巡っていた。

筆者は最初の渡欧では列車に乗って各国の撮影場所のロケハンに終始し、本格的にTEEの撮影を始めたのは1977年の6月だった。東京・羽田(成田空港開港は翌年)を旅立ち、同日夕方にパリに到着。すぐに夕暮れのパリ・オーステルリッツ駅に向かうと、ホームには憧れのTEE、ボルドー行きの「アキテーヌ」と「キャピトール」が並んでいた。

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