現在より優雅、往年の「欧州国際急行」のド迫力 食堂車や運転室内…かつての名列車を写真で

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日本では実用化が見送られた「フリーゲージトレイン」だが、ヨーロッパでは線路幅の違うスペインと他国を結ぶ列車で長年の実績がある。その始まりはTEEだった。

南フランスを走る「カタラン・タルゴ」(筆者撮影)

1969年に運転開始した「カタラン・タルゴ」(バルセロナ―ジュネーブ)がそれで、スペインの広軌(軌間1668mm)とフランス、スイスなど標準軌(軌間1435mm)の国々を直通運転するために軌間可変機構を備えた「タルゴⅢ RD」と呼ばれる特殊な客車を導入した。

「カタラン・タルゴ」のバー車内(筆者撮影)

タルゴはスペインで開発された客車で、カーブの多い同国で高速運転するために1両の長さが極めて短い低重心・軽量の連節構造が特徴だ。この客車は左右の車輪が独立した構造で、これが軌間可変機構の実現につながった。小型で背の低い連接客車を、各国の大形機関車が牽引する姿はどこかユーモラスであった。

「北極星」の思い出

ヨーロッパを駆け巡った数多くのTEEの中から、ここでとくに特徴的かつ、思い出深い「TEEの勇者」ともいうべき2列車を紹介しよう。

パリ北駅に停車する「エトワール・デュ・ノール」(筆者撮影)

その1つは「エトワール・デュ・ノール」(北極星)だ。パリ北駅からブリュッセルを経由してアムステルダム中央駅間を結ぶTEEで1957年に創設され、1984年夏ダイヤまで同区間を最高時速200kmで疾走した。この区間のTEEに使われた機関車は異なる4種類の電化方式に対応できるフランス国鉄自慢のCC40100形で、鉄道ファンに人気が高かった。

筆者は1978年にアムステルダムから乗車した。車内には両替の銀行員や国境でのパスポートコントロールが乗り込み、いかにも国際列車を実感したものだ。食堂車の予約にはギャルソンが車内を巡回しており、ブリュッセルを発車するとランチとなった。前菜からメインディッシュ、チーズ、デザート、コーヒーまで優雅なコース料理が出され、200kmで流れる車窓風景とともに堪能した。

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