現在より優雅、往年の「欧州国際急行」のド迫力 食堂車や運転室内…かつての名列車を写真で

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もう1つはオランダ、西ドイツ、スイスを結ぶ「ラインゴルト」だ。

コブレンツ付近を走る「ラインゴルト」。先頭の機関車が103形だ(筆者撮影)

ルーツは戦前にさかのぼる名列車で、1951年にラインゴルト急行として登場、1965年からTEEに仲間入りした。列車名はリヒャルト・ワーグナーの楽劇「ラインの黄金」に由来し、当時の西ドイツ国鉄が誇る列車として君臨した。

1976年まで「ラインゴルト」に連結されていたドームカーの車内(筆者撮影)

1960~1970年代半ばの期間はドーム型の展望車を連結し、ライン河沿いを走る観光列車としても名高かった。筆者がTEEの撮影を始めた時期にはスピードアップのためにすでに展望車は編成から外されていたが、それでも列車の風格は衰えていなかった。

西ドイツ国内で先頭に立つ機関車は名機の誉れ高い103形電気機関車で、流線形の美しいデザインと最高時速200kmの高性能でドイツの鉄道高速化に大きく寄与した。

欧州各国を結び付けたTEE

ヨーロッパ各国の都市を結び、華やかな一時代を築いたTEEだったが、1970年代後半にはすでに陰りも見え始めていた。国際間移動が増える中でエコノミーな旅への要求が高まり、1等車だけというハイクラスな列車の需要は減っていった。

高速鉄道の登場もTEEの衰退につながった。フランスの誇った豪華列車「ミストラル」は1981年にTGVの登場でTEEから格落ちし、ついにはTGVがパリ―マルセイユ間の運転を開始した1982年に廃止された。

TEEの列車案内パンフレットと、かつての「ユーレイルパス」(筆者撮影)

そして1987年5月末、国際列車の新たな種別として2等車を連結する「ユーロシティ」が誕生し、運行を続けていたTEEの多くがこちらに移行した。こうして、移動手段としての「豪華国際列車」は1990年初頭までにその姿を消していった。

だが、ヨーロッパ各国を高速で結ぶTEEの思想は現在の高速列車へとつながっている。さらに言えば、TEEが登場して全盛を極め、次世代の列車と移り変わっていく過程はヨーロッパ各国の政治・経済面での結びつきが強まり、やがて現在のEU(欧州連合)へと至る過程とも時期を同じくしている。現在のヨーロッパに、TEEがもたらした功績は決して少なくない。

南 正時 鉄道写真家

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みなみ・まさとき / Masatoki Minami

1946年福井県生まれ。アニメーターの大塚康生氏の影響を受けて、蒸気機関車の撮影に魅了され、鉄道を撮り続ける。71年に独立。新聞や鉄道・旅行雑誌にて撮影・執筆を行う。

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