当時、私は傷だらけでした。服で隠れない部分に――隠れる部分もでしたけど――一目見て暴力を振るわれているとわかるような傷やあざがたくさんあったし、ストレスで体も顔も肌がひどい状況でした。だから親には会いたくなかったんです。こんな姿を親が見たら卒倒か発狂してしまうと思って。
気にするところが違うって今ならわかります。親に心配されるような状況だということは自覚できていたけれど、心配されることを受け入れることはできなかったんだと思います。
流血した後輩は心に深い傷を負ってしまった
――オーナーが逃亡したことでお店が営業停止になり、職を失ってからはどのように過ごされていたんでしょうか。
次の仕事に就くまでの半年間くらいは、とにかく休んでいました。お金に余裕があったのでできたことだと思います。そのときやっと実家に帰ることもできました。
あとは、それまでまったくできていなかったことなんですけど、当時住んでいた街の気になっていたご飯屋さんにいろいろ行ってみました。本当に楽しかったです。他にも、それまでの反動でとにかくたくさん買い物しましたね。
――立ち入ったことを伺うようですが、前回、稼ぎは手取りで12万~13万円ほどしかなかったと伺いましたが、蓄えはあったんですね。
低賃金でしたけど、使う暇がなさすぎてけっこう貯まっていたんです。ようやく使えるようになったという感じで。お金のこと以外にも、やっとまともに眠れるし、開放感しかなかったですね。後輩は例の事件の当日中に意識を取り戻したので、その日私は家に帰って眠ったんです。そして目を覚まして日付を確認したら丸2日寝ていて驚きました。
――半年間、精神的にはいかがでしたか?
私は元気でした。それもネットの友達がいたからですね。だからそのときに話し相手になってくれた友達のことはものすごく大事に思っています。
――私”は”大丈夫でした、というのは?
後輩のほうはそういうわけにはいかなかったんです。流血事件の後、お菓子を作れない……というか、材料に触れることすらできなくなって。食べるのもです。ケーキを食べても吐いてしまうようになりました。それに、オーナーが自宅に来るかもしれない恐怖で眠れなくなってしまって、しばらく私の家に泊まっていました。
それから数年のうちに住む場所は離れてしまったんですけど、ずっと仲がいいです。その後輩、何年もかかってしまったけど、つい最近菓子職人として復職したんです。それが本当にうれしくて。今は都内のパティスリーで働いています。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら