強国に襲われた国が援軍、運、希望信じた上の末路 抵抗か降伏か、現実主義者と理想主義者の討論

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メロス人:お互いの力が拮抗していない限り、諸君らの力や運命の気まぐれに抵抗するのは難しいということは理解している。それでも運命は我々を見放したりはしない。なぜなら我々は非道な民に立ち向かう、信心深い民なのだから。

また、軍事力に劣っている部分は、同盟のスパルタが補ってくれるに違いない。我々とスパルタには同じ血が流れているのであり、彼らも国の威信に懸けて我々を見放すことはできないはずだ。つまり、我々の士気の高さにはしっかりとした根拠があるのである。

アテネ人:神の恩寵という意味では、我々も諸君らと同程度には恵まれているはずだ。我々の思想と行動は、神の世界への理解に反せず、人間の根源的な欲求と矛盾するものでもない。

神々はたえず支配を追い求め、それは人間も同じである。それは神と人間の本性なのだ。この原則は我々が打ちたてたものではないし、我々が初めて行使するわけでもない。我々はそれを受け継いだにすぎず、後代に継承するつもりだ。また、権力の座にある者は誰であれ、我々と同じようにふるまうはずだ。つまり神が我々を見放す理由はなく、ゆえに敗北を恐れることもない。

また、スパルタが不名誉を避けるためだけに援軍に駆けつけると思っているのだとしたら、諸君らの無邪気さに感服こそすれ、その愚かさを羨むことはない。

(中略)

スパルタが援軍に駆けつけてくれると信じている

メロス人:我々は、メロスを見捨てないことがスパルタにとって利益になると確信している。もとはといえば、メロスはスパルタの植民市なのだ。我々を裏切れば、スパルタは彼らに好意的な国々からも信用を失うことになり、そうなれば敵の思う壺ではないか。

アテネ人:周知の通り、実利を求める道こそが最も安全で、正義と高潔を求める道は危険をはらんでいる。スパルタがその危険に進んで身をさらすとは考えにくい。

メロス人:それでも我々はスパルタが援軍に駆けつけてくれると信じている。それに伴う危険はけっして大きくはないはずだ。

メロス島はペロポネソス半島に近いため、必要であれば我々はいつでも援軍に駆けつけることができる。また、血縁的なつながりから、我々は同じ価値観を共有しており、その信頼関係には特別なものがある。

アテネ人:紛争に乗り出すときに国家が当てにするのは、友軍との信頼関係ではなく、相手を戦力的に上回る見込みがあるかどうかである。

スパルタは誰よりもその原則を厳守する(彼らは自国の力を疑うあまり、多数の援軍がないと近隣の国々に対する侵攻すら躊躇するほどだ)。また、我々が制海権を握る限り、けっして海を渡ろうとはしないだろう。

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