三陸鉄道、新駅舎が「行政拠点と一体」の利便性 新田老、岩泉小本の立派な建物・宮古北部岩泉編

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三陸と言えばリアス式海岸とのイメージがあり、実際、これまでも複雑な地形をたどるバスの乗り継ぎには苦労してきた。しかし、宮古から北の三陸地方の海岸は沈降海岸のリアス式ではなく隆起海岸で、海岸線には急峻な崖が連なる。鉄道や国道などは丘陵地を縫うように走り、海はなかなか見えない。人口は一部の湾沿いの平野に集中している。

崎山貝塚バス停に到着する岩泉小本駅前行き(筆者撮影)

岩泉小本行きも時々トンネルを抜けながら丘陵地を走る。宮古―田老間のバスは1日12往復、岩泉小本まで行く便は7往復あり、筆者が乗った便も昼下がりの時間帯ながら、5人の利用があった。

田老は、そうした湾沿いの平地にある町の1つで、2005年に宮古市と合併するまでは、独立した下閉伊郡田老町であった。広く太平洋へ向かって湾の入り口が開く地形ゆえに、ここは古くから何度も津波を被害を受けてきた。昭和の初めからは大型防潮堤の建設が始まり、1966年に全長1350m、高さ10mの、町を囲む堤防が完成。防災対策のモデルとまで言われた。しかし、東日本大震災の津波は防潮堤の2倍の高さに達し、中心部は再び壊滅してしまった。

三陸鉄道の田老駅

国が計画を進めていた前谷地(宮城県)―八戸(青森県)間の三陸縦貫鉄道のうち、宮古―田老間が国鉄宮古線として開業したのは1972年だ。国鉄時代は終着駅だったが、1984年には三陸鉄道へ移管され、同時に田老―普代間が開業して久慈方面とつながり、中間駅になっている。ホームは築堤上で、駅前には田老物産観光センターが建設され駅舎を兼ねていた。場所自体は町の南の外れに近いが、駅前には集落も形成されていた。

目立った建物がない田老駅前(筆者撮影)

14時57分に着いた岩手県北バスの田老駅前バス停は、国道から脇道に入った、まさに駅前で、崎山貝塚から320円。しかし今、公衆トイレ以外、周囲に目立った建物はない。すべて津波で流されてしまった。旧田老町の海岸沿いのエリアは、震災復興事業により公共施設または防災緑地などに変わっている。防潮堤も再建されたが、住民の多くは山沿いへ移転した。

田老駅の周辺には現在、神田川の谷間に残る集落と、歩いて15分ほどのところにある岩手県立宮古北高校程度しかない。乗降客の大半は通学の高校生だ。旧田老町の中心部は区画整理事業が実施され、宮古市の田老総合事務所も新庁舎へ移転することになった。その際、三陸鉄道の活用が図られ、田老からわずか0.5kmの距離ながら、総合事務所と駅を兼ねた建物が、新しい玄関口として設けられたのだった。地域に密着した第三セクター鉄道らしい施策で、これが2020年5月18日に開業した新田老駅だ。

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