「真夏のいちご狩り」に挑む29歳日光の農家の戦略 冬イチゴとは異なる「夏秋イチゴ」の可能性
一方の夏秋イチゴは、日長と温度の影響を受けにくい四季なり性をもつ。しかし、冬イチゴと比べると、収量が少なかったり甘みが弱かったりという欠点も抱えている。
就農2年目の3代目が始めた新規事業
そんな「夏秋イチゴ」に精力的に取り組む農家を訪ねた。栃木県の奥日光、戦場ヶ原にある岡崎ファームだ。
中禅寺湖を左に眺めながら国道を奥に進むと、奥日光の山々に囲まれた平坦な土地に出る。そこが標高約1400メートルに高原が広がる戦場ヶ原だ。
ここには太平洋戦争後に開拓された広大な農地が広がる。県全体として農家が減っていく中、この地域も例外でなく、いまも農場を経営するのは5世帯。岡崎ファームはそのひとつだ。3代目の岡崎孝彦さん(29歳)が新規事業としてイチゴ事業を始め、今年、6度目の出荷シーズンを迎えている。
孝彦さんがイチゴ事業に乗り出したのは、農家としての生き残りをかけての取り組みの一環である。
もともとこの戦場ヶ原の農家は、高冷地である特性を生かし、高原野菜を生産するかたわら、平地の生産者に土地を賃貸したり、水やりなどの基本的な栽培管理のみを受託するなど、土地柄を生かしての「受託事業」を生活の糧としてきた。
暑さに弱い植物に避暑地でのびのびと育ってもらい、一番高値で売れるはしりの時期に出荷を合わせたい平地の生産者。そして経営資源が限られる中でよりよいビジネスをしたい高冷地の生産者。両者の利害ががっちり一致し、戦場ヶ原の農場は活用されてきたわけだ。
実は、栃木県が日本一のイチゴ産地になれたのは、この地で育苗できてきたことが大きい。いち早く花を咲かせる準備のできた苗を下界で定植し、クリスマスシーズンに合わせたイチゴの大量出荷を可能にしてきたのだ。
しかし、時代は変わった。その後、低地での夜冷育苗技術が開発され、高冷地で育苗するという役目は一区切りを迎えた。つまり戦場ヶ原の生産者は、平地の生産者の育苗の請負や、土地の賃貸などの“受託仕事”だけでは、生き残れない状況に変わったのである。
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