オンラインで京香さんを見ていた看護学生からも、京香さんが反応していることがわかるほどだった。「未来の看護師さんに、学校看護師さんの重要性を強くアピールしたかったようです」と智宏さんが説明した。
林さん夫妻は、京香さんに「同世代の友達を作ってほしい」「地域で暮らす、さまざまな人との関わり合いが持てる生活を送ってほしい」、そして「2歳下の妹と一緒に通学してほしい」と、特別支援学校でなく、地域の小中学校へ通わせたいと考えた。
ちょうどこの時期、国際連合(国連)の「障害者の権利に関する条約(障害者権利条約)」を批准するために、国内で「障害者基本法」が改正された。それ以来、障害のある本人と保護者が地域の小中学校への就学を希望した場合、市町村教育委員会が受け入れを認めるケースが出てきた。
河村たかし名古屋市長も後押し
京香さんの話を聞いた、河村たかし(73)名古屋市長の「入れたってちょうよ(地域の学校へ入れてください)」の“鶴の一声”もあり、教育委員会も動き出した。
京香さんが中学校に入学するにあたり、当時校長だった稲田恭子さん(62、現在は名古屋市スポーツ市民局市民生活部消費生活課)は、小学校の校長や教員から情報を引き継ぐだけでなく、京香さんの小学校生活を見学した。また、林さん夫妻から手渡された障害者権利条約や障害者基本法、合理的配慮に関する資料を読み、「1人の個性のある生徒への対応をすればいい」と考えたという。
学校では教育委員会が予算措置をして、校舎にエレベーターやケアルーム(介助を受けたり、着替えたりするための部屋)を設置したり、プールまでの通路をバリアフリーに改修したりした。看護介助員(医療的ケアや学校生活での介助、学習支援を担当)や主幹教諭も配置した。
主幹教諭には特別支援学校から異動してきた教員が就き、京香さんだけでなく、学校全体の生徒の支援を担当した。さらに「特別支援教育コーディネーター」も兼任し、校内で京香さんと関わりのある教員や学校外のさまざまな組織をつないだ。
稲田前校長と主幹教諭は当時を思い出しながら、「京香さんには“中学校生活の風(雰囲気)”を感じてほしかった」と話す。
授業では、同級生と同じ行動ができない京香さんが教室に座っているだけにならないよう工夫(合理的配慮)を重ねた。1年目は、主に稲田前校長と主幹教諭の2人が授業をサポートした。稲田前校長は特別支援教育専任教員ではなかったため、京香さんと過ごすことで接し方を学んだという。そして、うまくいかなかったら、もう少し工夫することを繰り返した。
「障害の有無にかかわらず、誰にでもできないことはあります。そのときどう伝えるか、どう教えるかが教員の力量とわかりました」と、稲田前校長は話す。
1年経った頃、他の教員もその様子を見て、次第に授業に関するアイデアを積極的に提案するようになった(下参照) 。
■理科/生物の観察
クラスの生徒が作成したプレパラートの微生物は、バギーに座っているためのぞき込めない。京香さんにも見えるように、教員が車いすそばの壁にプロジェクターで拡大して映し出した。
■社会/世界の地理や文化
教員が“しゃべる地球儀”を持ってきた。地球儀にタッチすると国名が音声で聞こえる。そこで、その地球儀で「アメリカ→カナダ→タイ→イタリア……」などのように、国名のしりとりをした。
■体育/バスケットボール
車いす用の低いゴールを作り、京香さんがボールを触ったり、シュートを体験できたりするようにした。
■家庭科/ミシン縫い
バギーのひじ置きに固定の台を作り、そこにミシンを置いた。京香さんが手で布を押さえて、布が動いていく様子を正面から見ながら、ミシンのガタガタした振動を体で感じてもらった。
■音楽/アルトリコーダー
アルトリコーダーを吹く体験をするため、口を当てる部分に風船を膨らませるポンプを装着して空気を出した。笛の穴を押さえるときは、稲田前校長が手作りしたゴムやテーピングで京香さんの指と稲田前校長の指をくっつけて一緒に動かした。
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