岸田政権、安倍氏死去で「参院選勝利でも混迷」の訳 「すべての前提が変わった」自民党内の権力闘争
こうした「段取り」は事前に岸田首相も承知していたとみられる。その後、狙撃事件直後から各候補がとりやめた街頭演説などを、選挙戦最終日の9日には予定どおり行うことを決め、あらためて岸田首相や各閣僚、党幹部は全国に散った。
さらに、安倍氏の遺体が昭恵夫人に付き添われて車で都内の自宅に戻ったのは9日午後1時半過ぎ。出迎えたのは党3役の福田達夫総務会長、高市早苗政調会長らで、間を置かずに岸田首相も遊説の合間を縫って弔問に訪れ、涙を流しながら故人への哀悼の念を捧げたとされる。
公示前からほぼ連日、全国を遊説していた安倍氏
安倍氏が最大派閥の会長に就任したのは昨秋の衆院選が終わって、岸田首相が政権運営に自信を強めていた11月だ。ただ、安倍派会長となって「アベノミクス」の根幹を成す積極的財政出動や防衛費の大幅増などを主張し、退陣後はやや薄れていた存在感を取り戻した時期でもある。
もともと安倍氏は、自民党を代表する保守派権力者としての「岩盤支持層」の持ち主。これを背景に、今回の参院選でも公示前からほぼ連日、全国を遊説し、行く先々で多くの聴衆囲まれ、ご満悦だった。
ただ、首相在任時と違って、行動の自由を得られた結果、遊説中も聴衆の間に分け入り、グータッチを繰り返すなどして、愛嬌を振りまいていた。今回の狙撃事件はその結果ともみえ、「安倍氏本来の人なつっこさが仇となった」(周辺)との見方も出る。
参院選の投開票は10日だ。今回の事件が選挙結果にどのような影響を与えるかは、予測困難ではある。ただ、立憲民主の選挙参謀を自任する百戦錬磨の小沢一郎氏は、8日の街頭演説で「自民党に有利に作用するかもしれない」と発言。また与党公明党からも「与党が苦戦している選挙区で風向きが変わるかもしれない」(幹部)との声が出ている。
確かに、今回の事件と経過も政治的意味合いもまったく異なるが、1980年6月の衆参同日選の最中に、当時の大平正芳首相が過労とストレスの果てに急逝した際は、劣勢が予想されていた自民党が大勝した。今回も、「安倍氏の死を悼む保守派の有権者が投票にはせ参じれば、自民が有利になる可能性」(選挙アナリスト)は少なくないというわけだ。
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