岸田政権、安倍氏死去で「参院選勝利でも混迷」の訳 「すべての前提が変わった」自民党内の権力闘争

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安倍元首相が凶弾に倒れたのは8日昼前で、場所は奈良市の近鉄大和西大寺駅前。至近距離からの狙撃によって心肺停止となり、その時点で岸田政権は激震に見舞われた。

歴代最長の首相在任期間を誇り、しかも、退陣後は圧倒的党内最大派閥・安倍派の領袖となった安倍氏。その存在感と党内影響力は岸田首相をはるかにしのぎ、しかも、ロシアの軍事侵攻によるウクライナ危機という「戦後最大の国難」(岸田首相)への対応でも発言力が際立っていた。

もともと、安倍氏は岸田首相と当選同期で選挙区も近く、年齢も4歳違い。「初当選以来の親しい友人として互いに助け合ってきた」(岸田首相)間柄だ。

ただ、党内有数の保守派論客の安倍氏に対し、岸田氏は、リベラルの牙城とされる宏池会(岸田派)の領袖だけに、憲法改正や安保防衛政策での意見対立は隠せず、岸田政権発足後は政権運営や政策決定を巡る双方のあつれきが「政局の波乱要因」となってきた。

遊説打ち切りを決めて自衛隊機で帰京した岸田首相

そうした状況下での安倍氏の突然の死去。遊説先の山形県で事件の一報を受けた岸田首相は、すぐさま遊説打ち切りを決め、自衛隊機で帰京。首相官邸で待ち構えていた記者団から政局への影響を聞かれた岸田首相は「今、懸命の救急救命措置が行われている最中なので、今後の政局に与える影響には触れるべきではない」と語ったが、その目は潤んでいた。

官邸筋によると、安倍氏が頸部に銃弾が命中して倒れ、心肺停止となった時点で「事実上の即死」とみられ、その旨は岸田首相にも伝えられていたとされる。だからこそ、岸田首相は閣僚全員に即時帰京を指示し、遊説続行を模索していた茂木敏充幹事長ら党役員にも党本部に戻るよう要請したのだ。

そもそも、安倍氏のような「超要人」でなくとも、交通事故等での完全な即死でないかぎり、治療にあたる医師が死亡宣告をするのは親族の確認後、というケースが多いとされる。安倍氏の場合も、8日午後4時55分ごろに昭恵夫人が病院に到着。その直後の5時3分に、医師団が「失血死」を宣告した。

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