「もちつもたれつ」で生きのびてきた「神仏習合」 「2つの原理」で此岸と彼岸を行ったり来たり
まず、この史跡やぼくたちの自宅にたどり着くためには橋を渡らなければなりません。「橋を渡る」という行為のために、ぼくたちはルチャ・リブロのことを「彼岸の図書館」と名付けました。此岸である現代社会とは違う原理が働く場という意味もありますし、実際に川を渡るからでもあります。ぼくは就労支援の仕事をするために毎日橋を渡って出勤するので、此岸と彼岸を行ったり来たりしています。そこで強く感じるのですが、橋を渡ることによってグッと気温が下がったような気がします。実際には気温を測っても計測できない程度の誤差なのかもしれません。でも実感としては間違いなく「別の世界」を行ったり来たりしているのです。
「聖地」にある「彼岸の図書館」
この史跡に実際にあるのは巨大な岩です。巨岩の前には、杉やブナやナラの巨木に囲まれた小さな空間が広がっています。殺害された吉村寅太郎はまずその巨岩の付近に埋葬され、後に別の場所へ他の天誅組のメンバーとともに葬られています。吉村寅太郎の死によってこの地は一種の「聖地」になりました。しかしこの巨岩の前に立てば誰もがわかるように、間違いなくここは最初から「聖地的要素のある土地」だったのだと思います。特定の神が祀られているわけではありませんが、橋を渡り変化する体感の温度、巨岩の圧倒的な存在感と凛と立つ木々、降り注ぐ木漏れ日。さまざまな要素が合わさり、この地を「聖地」たらしめています。このようなぼくが感じた感覚を、島薗進さんは以下のように述べています。
日本の古代、さらにさかのぼって縄文時代の祭祀はそのような神秘的な自然の中で行われるかたちであったと考えられ、社殿の小空間に常に神(御神体)がいるという祭祀形態は新しいものだ。各地で社殿が整備されていくのは律令国家祭祀が整えられていく段階とみられる。沖縄の御嶽も沖ノ島などと似た古い時代のおもかげをもち、神祇祭祀の初源の姿をうかがわせる。神道の古いかたち、古神道といえるものが縄文時代の神道であったのではないかという推測とつながっている。こういう場所は全国的にみられ、今でも人々は神秘的な場所という感覚をもつことが多い。(『教養としての神道』88頁)
加速する都市と山村の有限性
「天誅組終焉之地」はここで述べられているような有名な聖地ではありません。でも確かにこの史跡があることが、ぼくがこの家に住みたいと思った大きな要因でした。それは過去の人間が亡くなった地であり、幕末を生きた吉村寅太郎という見ず知らずの人間との時を超えた連続性を実感することができたことが大きく作用しています。
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