「いじめは犯罪行為」と誤解する親たちの落とし穴 法律の誤解が「解決の可能性」を消す場合も
それに加害者となった子たちにも、「なんでこっちが加害者にされなければならないんだ」という不満が残ります。このような場合、道徳だけでは限界があります。
そういったときには、ロジカルに考えることが大切です。「相手にやめてほしかったんだよね?」「みんなで無視する以外に、方法はなかった?」「どんな方法を取ったら、いじめにならなかったんだろう?」。
そんなふうに、「問題解決のためにとった行動が間違っていた。無視じゃダメだった」というところにまで落とし込めれば、同じようないじめは起こらないはずです。
大切なのは、相手の子どもによだれをこすりつける行為をやめて欲しいと伝えることだったはずです。直接相手に伝えたり、どうしてそのような行為をしてしまうのかを探ったり、先生に相談したり、いじめ行為以外に取れる手段を検討できるようになることが、自分と相手の両方の権利を守れるようになることです。
世の中には「いじめは被害者にも原因がある」という言説があふれていますが、法律はこれを明確に否定しています。法定手続きの保障、あるいは私刑の禁止と呼ばれる原則です。ロジカルな問題解決の考え方は、唯一の方法とまでは言わずとも、法律から効果的に学ぶことができるのです。
子ども自らが、「いじめだと非難される行為を選択してしまった。次からは別の方法を考え、同じ選択をしないようにしよう」というところに到達するように支援していくのが、保護者と学校の務めです。いじめの解決は、思考を整理する手伝いでもあります。「法律でダメって書いてある行為をしたからダメ」といった単純な話で終わらせてはなりません。そんなふうに教えたら、法律に書いてない行為でのいじめが増えるだけです。
多様な人と生きるために
そもそも法というのは、異質な他者と誰もが平和に暮らすことができるような社会を実現するために作られてきたという歴史があります。法律が発展してきたのは、多文化・多言語・多民族の社会でした。日本もこれから国際化が進み、外国をルーツとする人の数は学校のみならず増えていくわけです。
もちろん日本人どうしでも、価値観は多様化しています。そういった意味においても、子どもの頃から法律の考え方に触れ、対立が起きたときに適切な方法がとれるようになっておくことは重要です。そうすることは、ひいては自分自身を守ることにもなるのです。
(構成:黒坂真由子)
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