「いじめは犯罪行為」と誤解する親たちの落とし穴 法律の誤解が「解決の可能性」を消す場合も

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「いじめは犯罪」と考えすぎたり、「いじめを法律で解決する」という考えが行きすぎている保護者の中には、法律を盾に学校へ乗り込んできたり、「絶対に裁判にしてやる」と、何が何でも裁判で決着をつけようとする方もいます。

しかし裁判というのは、まず時間がかかります。実際5年以上争っている裁判もあります。大人にとっての5年はたいしたことはないかもしれませんが、子どもにとっての5年というのは、小学生時代のほぼすべて、中学・高校なら卒業してしまいます。いじめ裁判を争っているうちに学校生活が終わってしまうとしたら、子どもにとってはメリットよりもデメリットのほうが多いはずです。

結局子どもが一番長い時間を過ごすのは学校なので、基本的には家庭と学校で協力し合って解決することが理想です。その可能性を、法律の誤解によって摘んでしまってはなりません。もちろん、通っている学校や教員が隠蔽体質である場合など、悪質なケースではやむをえず法律によって争う必要があるかもしれませんが、法律が必要になるのはどんなシーンなのかということを状況に応じて慎重に検討しなければならないのです。

この判断のすべてを保護者だけで行うのは、深刻なケースであればあるほど難しくなるでしょう。そんなときに弁護士のような法の専門家が力になってくれるのですが、そのような状況に陥った際に弁護士に相談するかどうかを判断する手助けをしてくれるのが、最低限の法律の知識なのです。

被害者も加害者も紙一重 どんな方法を選択すべきか

お子さんは被害者だけでなく、加害者になる可能性もあります。被害者と加害者は結構紙一重なところがあるからです。

例えば、「ふざけてよだれをみんなにこすりつけていた子を集団で無視したら、無視した子たちが加害者とされた」というようなケースを考えてみましょう。道徳教育だと「いじめられている人がかわいそうだから、ダメ」という話になりますが、「よだれをこすりつける子なんてかわいそうでもなんでもない」と感じる子が多ければ、「相手が悪いんだからいじめていいじゃん」となってしまうでしょう。

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