お金は代替可能、なくても人は生きていける理由 だがまだ信用のない人は「お金でも持っておく」
つねにあなたの関心の的になっている「お金」。ときにあなたに充足感をもたらし、ときに心配やトラブルの種にもなってしまうお金。いっけん複雑で厄介に思える、このお金とはいったいなんなのか? 答えはシンプルだ。
お金の本質は「信用の数値化」である。それだけだ。
お金は「信用の数値化」にすぎない。ということは実はいくらでも代替可能なのだ。つまり、お金がなくても人は生きていける。
いまあなたがお金に困っているとする。でもその場しのぎだろうがなんだろうが、とにかくあなたに救いの手は差し伸べられる。ご飯を食べさせてくれたり、泊めてくれたりする友人や知り合いのひとりふたりはいるはずだ。
では、なぜ彼ら彼女らはあなたを助けてくれるのか。それはあなたを「信用」しているからだ。ここでの信用とは、つまり長年のよしみだ。お金がなくても生きていけるとはそういう意味である。
あなたの信用が大きく、かつ多方面にわたれば、そのぶん強固なセーフティネットになる。それだけではない。もしあなたがなにか事業を興そうとしたとき、あなたに信用が備わっていれば、その軍資金を出してくれる相手だってあらわれるだろう。
お金を持っていることと、信用を持っていることは、かぎりなくイコールなのである。
お金が「信用の数値化」だというのは、まったくそのとおりだ。信用があれば、お金がなくてもいろいろなことができる。
逆に、お金があれば、信用のない間柄でもいろいろなことをしてもらえる。お金を払うと、モノの所有権を移転してくれたり、さまざまなサービスを提供してくれたりする。
お金は「信用がない人」でも、他人に動いてもらうことができるツールなのだ。少し乱暴かもしれないが、「まだ信用がない人は、お金でも持っておけ」と言うこともできる。